川の淀みに想う、終着思想


ふと、精製されたきよらかな砂糖と


それを使ったきれいなお菓子につき


買い物をしよう。と出かけて行って


なにか自分のなかのズレを感じると


湧き水を汲みに行っているし、また


ぼくには終着点に、鴨長明ではない


けれども、川の淀みに関する表現


言い換えれば天然自然の灰汁へと


続く、Winding roadなどがあるの


では?河童とかもそうなのかなあ


現代では、スッポンみたいな、その


そうゆう生き方がまっているのでは


と、などそこはかとなく想うのだった


パチュリーの線香が出てきて燻らし


風が吹いて何処かにさらって行く。


家の中ではジーンズの裏打ちなど


する景色がひろがり、それが楽しみ


である、深夜半。コーヒー出店には


カタチとしてお姉ちゃんの後ろに


着いて行くみたいな風景になりそう


だが、それまで必死に準備しては


ホオポノポノなどして、眠りに就く


のだから、なにか報われたとして


もよいのだろう。沢山の人の支えが


あり、必死さは時に笑みを誘うのだ


ろうなあとか、思いながら秋の日の


寂しさも良いもんだよぉ。とかを


呟いていた、あの日を浮かべている



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