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他者のためにいきる=家事をする,

一度、スイッチがガタガタとON→OFFになって崩れ落ちる時に、ひとのためにいきられて、よかったね。と空耳を聞きながら、寝落ちする。目醒めて洗濯物を干しながら、ひとのために。ううん。ひとのために。。それで、よかったか?自問して、コープの注文が久々に届いたので確認したら。

洗濯槽クリーナー。仕上げ調整剤というのか,洗濯の。あとは歯ブラシや、牛乳、卵、スパゲティ。家事にまつわるのは、当たり前なのかも知れないけれども、もっとお掃除などを拍車掛けてしよう。なんておもってしまうのだった。それで、ひとのため。は、具体的に家事であったのだ。

Mっ気は極度に究める位が人生よりのテーマでは、と謂れるほど、黙して耐える事もままある。愛する、と呼ぶのは、嗜虐性をゼロにして、それでも被虐のうちに愛せるか。冬の嵐にはこんな桎梏に細々と呟くようなアイデアが遣ってきては、それでも寝癖を付けながら夕食をたべてる時ほど護られてると感じるのは、今際の何の頃合いによってか。

有限の中と、無限のうちに。物質が消化されて、そのエナジー補給しながら生活するのであれば、精神的な塵芥は溜まってゆくだろう。それで、無限のうちに、微細な精神性へ足を突っ込むと言えば、それは溜まってゆく一方の有限から来る、塵芥の清掃パターンを請け負う事になる。はず。。

それで、集塵機のホコリを被ってしまうように、僕たちは精神的クリーン活動をする際に、ゴホゴホと心の風邪みたいに寝込んでしまう事がある。それで、環境活動とおなじ所に直面するのである。誰のために?と。それはそれで、答えはやっぱりお掃除するのみ。疲れたら休めばイイ。から、またお掃除をする。

アヒージョをしてきたから、食べなよ。と奥さんが、バタールのバゲットみたいなのと、オリーブオイルでたっぷりのディップみたいにして、沢山小麦粉のパンと、オリーブ油をいただいたものだから、コタツで寝ていたら、部屋の匂いがまるでパン種酵母みたいな感じで、つつまれて人間もカタツムリみたいなところあるな。と、一人合点していた。。

それで、海鮮の香り詰まった、煮詰まったオイルで、なにペペロンチーノかわからないが、海鮮オイルスパゲッティとあいなり。アヒージョは、どうもおしまい頃に塩辛くなるのだって。いつも、聞くからソースみたいにするには、ちょうど良い。くつくつ、と煮込むまでではなくとも、ふつふつ、オイルがパチパチ、なってきては、箸を突っ込んで。久しぶりにオイルまみれ。

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