AIが人の仕事を奪い仕事が無くなるよりも
企業に勤めるサラリーマンはお気楽家業と歌までできた時代からリストラだとかAIに仕事を奪われるので大量の余剰人材が世に溢れるなんて言われたけど、労働者の平均年齢が上がるばかりで仕事に溢れる人というのは、少子化だけでなく、人口縮小に相まってあれこれ条件を限定しなければ仕事の方がまだある昨今。
企業はおばさんより若い女の子に働きに来て欲しいと言うけれど、世の中に若い女の子の数は、第二次ベビーブーム世代ほど居ない。
若いと言っても、大学に行くのが当たり前という社会に変わりつつある現代、高学歴社が増え、女には産む年齢に限りがあるし、若さが価値になると社会がおニャン子クラブに始まり、アイドル全盛世代以降根付いた認識がある(奉公や子守り子、風俗社会や、戦後から高度成長期時代にを思えば、金の卵と言われた中卒労働者などを考えても日本って低賃金若輩労働者があっての社会が根付いていたのかも)。
とにかく、若い低賃金労働者が好きな日本社会の風潮に反して今の労働者の平均年齢もかなり高齢になってきている。
それなのに、会社というのは、雇われサラリーマンが占め、こうなれば良くなるという働き方より、我関せず。関わると余計な仕事が増えるし、体裁上、一生懸命やってます風に取り繕った働き方が賢いサラリーマンだと自慢する雇われを増やし、なにか足りないことがあれば、社世の中にに余剰人員が沢山いるから雇ってやればいいだとか、人材で困った経営に対し、コンサルにどうすればいいか答えを求めたり、救世主となる人材の採用をしてくださいと上層部に訴えるサラリーマンもいる。
救世主は外からやって来ないよ。
面倒そうな会社に苦労や精神病んでまで奉仕しようとするサラリーマンって、思考がやばい。
企業のために役立ちたいサラリーマンというのは、企業というより部署組織に食い物にされる傾向がある。
ボランティア精神の根付きにくい日本社会では、奉仕の心ばかりでは頑張る人ほど当の本人がこころを病みがちな温床がある。
仕事をそこそこ手抜きで定年あわよくば、嘱託で定年後も給料を頂こうとするサラリーマンに対し、企業はあまりいい気がしないという話をよく聞く。
未だに大手には、始業ギリギリ出社、始業時間を過ぎて、菓子パンなどの朝食をメールチェックをしつつとり、朝のお茶、午前睡眠、12時前に混雑を避け昼食、いびき高らかに午睡の後、おやつの時間を経て17時を回る頃からエンジンスタートと働きはじめ、残業する。仕事がなくとも定時や僅かな残業では切り上げないサラリーマンをよく見かける。
そのような働き方のサラリーマンに定年以降嘱託で残って貰っても、できる仕事に限りがあるし、会社の資源の浪費になる場合もある。
それでも、企業はクビを切れないし、どうすれば効率的な働き方を行う組織になるか考えることもなければ、対策もない。昨今、下手に注意すればパワハラだと訴えられてしまう。違うところにパワハラもあるのに、会社にしがみつきたいためにより身近なパワハラに鈍感になる人の方が多い組織にも問題がある。
こういう状況をみる若手は、居眠りサラリーマンとなるしかない中高年層や、生え抜きなんて夢物語な層の厚い役職ポジションを待つより外資で自分を試してみたいと転職や、脱サラで何かを起こそうとする様子も多くみられる。
日本のサラリーマン社会の魅力の低さよ。
嘆くばかりじゃ何も解決しないのはよくわかる。
しかしながらこの話をしても、私はそんなサラリーマンでは無いので分からないと一笑されるんですよ。許すも許さないも当事者らに。
人は変えられない。自覚がないなら尚更。
困っていること、困った人、問題のそれぞれが別案件として考えられたりする。
眠くなる仕事。やりたくないけど収入のためにやっているだけ。
就きたくて就いた仕事ではないと言われると、もうどうしようもない。
この秋起こっているイーロン・マスク氏にリストラされた企業では、氏は自分以外みなそんな働き方してるので俺が処罰するとなったのかなぁなんてことを最近考えたりする。