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灯を消さなかったらこそのご縁がある

『追い風ヨーソロ!』は2023年6月24日(土)~6月30日(金)の期間、高知県は安田町の映画館、大心劇場において上映されました。
6月23日、前祝で酒を飲み交わしていた時、館主であり出演者でもある豆電球こと小松秀吉さんが唐突に
「いやー、忘れちょった、忘れちょった」
と言うのです。
 
聞けば翌日、つまり上映初日は小松さんのお父さんの命日で、しかも23回忌なのだそう。前日にでも思い出せて良かったですね。
 
そして当日。昼の回に上映からの豆電球ライブでしっかり歌い、全てのお客様をお見送りすると、急いでお墓へ行って掃除して手を合わせて、夜にまたお客様を迎えて上映&ライブという実に忙しい1日を過ごした小松さん。そうと知っていれば上映日をずらしても良かったのですが、ご命日というのは存じ上げませんでしたし、何より小松さんも忘れていたのだから仕方がないですね。疲れているとは思うのですが、しっかり夜にはお酒を入れていて本当にエネルギッシュな人です。
 
さて上映が始まったら始まったで、また小松さんが唐突に
「いやー、映っちょった、映っちょった」
と言うのです。
 
映っちょったのは、中山映劇でした。
今ある大心劇場には前身となる映画館がありました。それが中山映劇です。
 
大心劇場から車で数分ほど安田川の上流へ向かった所にその映画館はありました。
小松さんのお父様である博行さんが昭和29年に開きました。当時は映画が娯楽の王様であった時代、まさに日本映画の黄金期にさしかかった頃。特に人気だったというチャンバラ時代劇を中心に多くのお客さんで賑わっていました。
 
しかし小松秀吉さんが経営を引き継ぐ頃になると、次第に娯楽におけるテレビの存在感が増していき、映画は斜陽業界と言われるようになってしまいます。さらに映画館のあった土地の借地権の期限も迫り、中山映劇は大きな岐路に立たされました。実際、この時期に個人経営の映画館の多くが閉館をしています。
 
しかし、
映画が好き
映画を見に来る人が好き
だから映画を見られる場を残したい
という想いが人一倍強かったのが小松親子。中山映劇は取り壊しとなりましたが、昭和57年、現在の大心劇場をオープンさせました。
 
苦しい船出ではありましたが上映される作品そのものに加えて、客席の壁を埋め尽くす往年の名作ポスターたち、小松さんの筆による手作りの看板、そして小松秀吉その人自身の魅力など、今では劇場そのものを目当てとする人もいるほどに愛される映画館となりました。

中山映劇で実際に使われていた四号映写機と博行さんの写真


少し話が反れたかもしれませんが、お父さんの作った中山映劇が『追い風ヨーソロ!』に映っちょったのです。取り壊されたものの、残った建物の一部が大心劇場のスクリーンに映っちょったのです。
 

こちらが映っちょったショット


前身の映画館があったというのは知っていましたが、命日と同じく、それがどこに建っていたのかは我々は知りませんでした。知らずにたまたま撮っていて、たまたまカットもされずに本編に残っていたのを、小松さんが発見する、それもたまたまお父さんの23回忌の命日に……!
たまたまです。偶然です。ですが縁を感じずにはいられません。「映っちょった」と言っていた小松さんの嬉しそうな顔を見られただけでも、この映画を作って良かったと感じられるのです。
 
小松親子が作り育てた映画館のように、『追い風ヨーソロ!』もさらに愛される作品になってほしいとあらためて思うのです。
 そういうわけで、これからもよろしくお願いいたします。

小松さんに案内していただく。オシャレな映画館の面影が残る
在りし日の劇場に思いを馳せる

  
◆◆◆ 『追い風ヨーソロ!』

【出演者】
大野仁志 我妻美緒 山川竜也 八洲承子 愛海鏡馬 豆電球

【会場】
大心劇場
〒781-6427 高知県安芸郡安田町内京坊992-1
http://wwwc.pikara.ne.jp/mamedenkyu/

【あらすじ】
1889年、安田村。唐浜では通りすがったお遍路の男に看取られながら、ひとりの女が息を引きとった。そして安田川のほとりでは安田村を離れていた兄弟が偶然の再会を果たしていた。その前に父の仇だと刀をかまえる女が現れた……。

時は流れて現在、安田町。かつての安田村にいた面々と同じ顔をした者たちが集ってくる。他人の空似か、あるいは前世か。交錯する過去との因縁。時を超えて、彼らを包むように風が吹く。

全編高知・安田ロケ、上映は大心劇場による地産地消映画がここに誕生!

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