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本を書くこと

いつまでクライアントワークができるのだろうか、と自分に問うことが多くなってきた。クライアントワークとは、自分の労働力を、お客さんに提供することだ。もちろんストレスもあるが、一番わかりやすい労働形態とも言える。まぁ、多くの場合、サラリーマンもそうである。サラリーマンは自分の労働力を金銭に変えている。その場合、多くのケースで、労働力という言葉の中に、一番大切な資源である「時間」も含まれてしまうから恐ろしい。つまり簡略化すると、クライアントワークは、時間との交換なのだ。

時間、これ働いている間だけではない。
クライアントワークにストレスはつきものだ。労働や、相手が期待する時間の使い方には必ず期待値がある。それを越えなければならない。越えなければ、怒られたり、二度と仕事の依頼が来なくなったりなど、色々と大変なことが起きる。

そこに、「基本的にみんな金欠状態」という前提条件が重なると、「致し方なく、人生の最も貴重な資源である『時間』を交換し続けて生きていく」という状況が当たり前になってきてしまうのだ。これはとても恐ろしいことだ。

それに、消費・浪費する時間は、交換している直接的な時間に留まらない。その前後で、緊張したり、準備したり、通勤したり、飲み会に参加させられたり、下手したらゴルフに行かされたり、その疲れで土日にぐったりしたりする時間とかも含まれている。

もちろん悪いことだけではない。
人から感謝されたり、組織に参加しているという安心感を得られたり、もちろんお金がもらえたり、遊んでいるだけではできない経験ができたりもする。できたりもするが、それに対しての対価があまりにもデカすぎる。デメリットが多すぎるのだ、クライアントワークというのは。

それでも若い頃はやるべきだと思う。
なんとなく、30代まではやっていいと思う。20代、30代にクライアントのために仕事をしていくというようなことを続けると、実力も尽くし、基本的な仕事の素地も出来上がってくると思う。それに、それしかできることないと思う。

40代以降、事業をやらないといけないんだと思う。
サービスとかプロダクトを作り、クライアントワークを依頼する側にならないと、つらい。ちょっと変な例えだが、メンヘラと一回は付き合った方がいいと思っている。それで、やられまくってやられまくって、喧嘩して喧嘩して、不毛な喧嘩を続けまくって、それで解放される。人生の通過儀礼だと思う。それでメンヘラとまた付き合うやつ。そいつはバカである。そうじゃなくて、禊を終えたんなら、もう二度と付き合わなくていい。クライアントワークも俺の中ではそんなイメージである。

だから、おれはおれで、自分のプロダクトを作らなければならない。サービスだ。それは、文章だ。文章にまつわることであることはもう間違いない。それに、めんどくさいことはできない。取材をすることもできないし、ウェブサービスなんかもできない。そうじゃなくて、純粋に、本や、その他の媒体を使った本というプロダクトを継続して作り続ける。その体制を構築することが味噌なのだと思う、40代以降の。

そしてそれは、認知能力が継続する限り、できる天職である。それに人的資本を全力投下しないといけないことはわかっているのだが、まだトラウマがあって自信が持てないんだよな。でも、やるしかないよな、。


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