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あなたは、何に関心を向けるか?映画『関心領域』が突きつける問い

映画『関心領域』は、ホロコーストという暗い歴史を、従来の視点とは全く異なる角度から描き出した作品である。この映画は、アウシュビッツ強制収容所の隣で生活するルドルフ・ヘスとその家族の日常を淡々と映し出すことで、人間の無関心さ、そしてその恐ろしさを浮き彫りにする。


物語の舞台は第二次世界大戦下のポーランド。
アウシュビッツ収容所の司令官ルドルフ・ヘスは、収容所のすぐ隣の家で、妻のヘートヴィヒ、子供たちと共に暮らしている。映画は、収容所の内部を一切描かず、ヘス一家の生活のみを映し出す。

庭で遊ぶ子供たちの姿、食卓を囲む家族の団欒、庭の手入れをするヘートヴィヒなど、一見するとごく普通の家庭の風景が広がる。しかし、その日常の背後には、常に不穏な空気が漂っている。



映画全体を通して、様々な「違和感」が散りばめられている。
美しい庭のすぐ隣にそびえ立つ壁、空に立ち上る黒煙、遠くから聞こえてくる人々の叫び声や銃声、そして家族の何気ない会話の中に潜む不気味さ。これらの違和感は、観る者の心に重くのしかかり、ホロコーストの残虐性を逆説的に伝えてくる。


特に印象的なのは、音の演出である。暴力的な描写は一切ないにもかかわらず、画面外からは常に様々な音が聞こえてくる。人々の悲鳴、銃声、焼却炉が稼働する音など、これらの音は、画面に映し出される家族の平穏な日常との強烈なコントラストを生み出す。この音響効果は、観客に、アウシュビッツで実際に何が起こっていたのかを想像させる。


また、映像も特徴的である。ほとんどの場面がロングショットで撮影され、カメラはほとんど動かない。この手法は、ヘス一家の日常を突き放した視点で捉え、まるでドキュメンタリーを見ているかのような感覚を観客に与える。また、自然光のみを使った撮影は、リアリティと生々しさを演出している。


物語の中盤には、ポーランド人の少女が登場する。彼女は、収容所に収容されているユダヤ人のために、作業現場にリンゴを置いていく。このシーンは、サーモグラフィーカメラで撮影され、少女の純粋な人間性が、ヘス一家の無関心さとは対照的に描かれる。少女の行動は、レジスタンス活動のような政治的なものではなく、人間として当然の感情から出たものとして描かれる。



映画の終盤では、ルドルフが強制収容所の副観察官に昇進し、ベルリン郊外へ転勤となることが決まる。しかし、彼はベルリンでその功績を認められ、70万人のハンガリー系ユダヤ人を移送する作戦の指揮を命じられ、結局またアウシュビッツに戻ることになる。

パーティー会場で、ガスで人々を殺す方法を議論した後、ルドルフは階段を降りる際に、突然現代の映像に切り替わる。
そこには、博物館となったアウシュビッツの様子が映し出される。この場面は、ルドルフがナチスの犯した罪が歴史に裁かれる未来を想像し、恐怖を感じたことを示唆している。

ラストシーンでのルドルフの動揺(嘔吐しかける様子)は、彼が無関心を装い続けてきた結果、良心の呵責を感じ始めたことを示しているかもしれない。
彼の行動は、それまで見て見ぬふりをしていた罪の意識が、ついに表面化した瞬間とも解釈できる。
また、このシーンで現代の映像が挿入されたのは、観客の目を過去だけでなく、現代にも向けさせるという監督の意図があったと解釈できる。


映画全体を通して、「洗う」というモチーフが繰り返し登場する。
ルドルフがブーツを脱ぐと家政婦がそれを洗い、ヘートヴィヒが手入れする庭はいつも綺麗に整えられている。
ルドルフはユダヤ人女性と不倫した後、自分の陰部を丁寧に洗う。
子供たちが遊んだ川には、焼却炉の灰が流れ込み、帰宅後、彼らは体をゴシゴシと洗われる。
これらのシーンは、ヘス一家がユダヤ人の痕跡、そして自らの罪の痕跡を消そうとしていることを象徴している。彼らは、虐殺という現実から目を背け、自分たちの生活を守るために、あらゆる痕跡を消し去ろうとしている。


ヘス一家は、一見すると普通の家族のように見えるが、実際には各々が歪んでいる。
ルドルフは性的倒錯を示唆する描写があり、ヘートヴィヒは階級への執着から、ユダヤ人を搾取して得た生活にしがみついている。



子供たちは、収容所の音や、ユダヤ人の金歯などに異常な関心を示している。
犬も常に落ち着きがなく、赤ん坊は常に泣いている。
このように、家族全員が何らかの形で歪んでおり、その理由は、彼らが収容所の隣で生活しているという異常な環境にある。


映画のテーマは、無関心と人間性の剥奪が、悪の根源であるという問いかけである。
ヘス一家は、隣で起こっている虐殺を意図的に無視し、自分たちの生活に固執している。

彼らは、「聞いている」だけで「理解しようとしない」、
「見ている」だけで「認識しようとしない」。

この無関心こそが、ホロコーストのような悲劇を生み出した根本的な原因であると、この映画は告げている。

『関心領域』は、ホロコーストを直接的な暴力描写ではなく、日常の風景の中に潜む違和感を通して描いた作品である。この映画は、観客に、人間の無関心さ、そしてその恐ろしさを深く考えさせ、現代社会にも通じる普遍的な問題を提示している。


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