自分で決めたことをどう捉えるか
本当に久しぶりの投稿。よく戻って来れたもんだと思う。どうして書かなくなったかっていうのは、至って単純でかつめんどくさい理由なのだが、本当は特にネガティブな感情を抱いたときに誰かに話したいけど話せる人がいないし、ココで書いてはいけないと勝手に思い込んでいたことにある。それに伴って、いつの間にか いいね!(ハート) の数の増減=自分の価値観として置き換えていたりしたのでおかげでもある。もともと仕事によるストレスで体調不良が続いたことにより不安が増幅して絶望感に浸っていたという感じである。
実は今日、シンエヴァンゲリオンを観てきた結果、触発されたというか、このまんまではアカンなと思ったら、なんか急に書きたくなって今に至る。
エヴァンゲリオンといえば、僕が高校生のときに社会的ブームになったアニメで、今回のシンで完結になった映画。考察記事ではないので内容や感想は割愛するけど、自己評価はめちゃくちゃ低いのに、誰かにめちゃくちゃ認めてほしいもんだから頑張っちゃうんだけど、彼が選択したことで最悪の結果になったときに、自分が不甲斐ないからとふさぎ込んでしまう。そんな彼も、大切な仲間の死に直面し、叱咤激励されながら彼は変わっていく。それまでは人から言われたからやる、争いごとになるのは嫌なので自己開示はしない・・・なんて人だったのが、自分が犯してしまったことを受け入れ、自分の力で落とし前をつけると言い行動するに至る。(※これはあくまで個人的な解釈になります)
このことから、「結果はどうであれ、自分で選択して行動した事実」を認められないことが今の自分の課題なのかもしれないと思うようになった。僕の場合は、結果がダメだったら選択したこともダメになるので、自己否定に繋がっていたのかなと。なので、いつまでも同じところに留まることになるし、本当は自由奔放に生きたい人なので、ストレスによる負荷も量りしれませんね。
なので、まずは自分で決めたことはそれでよしと思う訓練が必要になる。冒頭の話に戻ると、ネガティブなことであっても話したいと思えばココに書き散らそうかな、とか。ありのままの自分とは一体何者なのかを、こういった文章で認識することは悪くないかもしれない。
そのために、主語をはっきりさせることを意識して書くといいのかなとなんとなく思っているので、普段は「自分」と表現するけど、「僕」という表現を使ってみようかと思う。