コロナが教えてくれる事
今この瞬間に幸せを選ばなければ、いつ幸せになれるんだろう?
コロナの世界が、いろいろな事を教えてくれる。
私たちの生き方、価値観、心のあり方が浮き彫りになる。
今まで当たり前だった生活が一時停止されて、立ち止まらなくてはいけなくなった時、私たちは何に気づくのだろう。
心に隙間があれば、その隙間が見えれてくる。
怖れは顕微鏡で見てるみたいに拡大されて感じる。
逆に大事なものも、より愛おしく感じるかもしれない。
幸せって、外的な物で得られる物ではないのだと、より強く思う出来事になっている。
車が手に入れば、家が手に入れば、綺麗になれれば、お金があれば、恋人ができれば、
と人間は幸せに条件をつけようとするけれど、
すべてを手に入れた人たちが、空しい気持ちで生きているというのも聞く話。
私たちは、幸せは勝ち取らなければならないと信じてきたのかもしれない。
幸せは、努力して獲得出来る人にしか与えられる価値がないものと、教えられてきたのかもしれない。
だけれど、本当はもしかして、頭で作り上げた虚像の現実を手放して、自分の本質に戻るだけの事なんじゃないだろうか。
子供を見ていれば分かる。
人の本質は、喜びであり、好奇心であり、愛に満ちた物だ。
何かを勝ち取らなければ幸せになろうなんて思ってもいない。
子供にあるのは、今この一瞬だけ。
その一瞬を曇りのない目で、全身で味わい、生きている。
子供の本質自体が幸せであり、すべてを受け入れる愛である。
子供を見ながら、大人になった私が今まで蓄えてきた、世の中に対するネガティブなラベルを引き剥がして、もう一度あるがままを受け入れる愛、自分の本質に繋がれるだろうかと考える。
私にとって、体を動かす意味というのは、体の機能を高めたり、姿勢をよくしたりという事もあるけれど、それ以上の意味を持つのはそのためかもしれない。
目を閉じて、思考の速度を落としていき、体の感覚に耳を澄ませる時、
全てを受け入れる愛である自分のエネルギーを感じることが出来る。
体に神経を向ければ、色々複雑な感情や思考を通りこして、一番シンプルな所に戻ってこれると思う。
体に記憶され残された思考のパターンも、体が変化する事で手放しやすくなる。
昔ジャイロのトレーナーになった頃、一人でアーチウェーというマシンを使って、ハートを開く動きを練習していた時、勝手に涙が流れてきた事がある。
自分の事を守ろうとして作り出した鎧を脱いだような、そんな気がした。
重かった、もういらない鎧。
温かく、やさしい気持ちになりながら、
思考を飛ばして、自分の本質に繋がった経験だった。
体に向き合って動いていくという事は、そんな可能性も秘めている。
私は、ダンサーでもアスリートでも、運動をしない人でも、誰にとっても人間の体は、自分らしく生きる為の鍵を握っていると思っている。
トレーナーとして、人間として、そんな神聖な人間の体と向き合える事は、いつも光栄に思っています。