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エルサレムツアー第3弾‼️イスラム教の聖地を訪れるオンラインツアー♫

皆さんこんにちは♪
この前の日曜日1/22にエルサレムのオンラインツアーに行ってきました!

今回はイスラム教の聖地を巡りました!
わくわく😆


第1回のユダヤ教のツアーでも出てきた神殿の丘に、今はイスラム教の寺院と「岩のドーム」があります。
ウマイヤ朝が建てました。

その岩のドームのある神殿の丘からオンラインツアーはスタートしました!


寺院も含めたこの場所(つまり神殿の丘)には、異教徒は12時半から1時間だけしか入れません。
それだけセンシティブな場所なのです!


神殿の丘は、古くは紀元前10世紀、ダビデ、ソロモンが神殿を築いた場所でした。(ユダヤ教の人々)
現在残っている神殿の土台部分はヘロデ王により紀元前20年に建てられたものです。


その後紀元70年ローマ帝国との戦いによってこの神殿は破壊されました。

月日は流れ638年、エルサレムはイスラム教の支配下に入ります。
これは戦争による征服ではなく、キリスト教勢力との条約によるものでした。

661年 イスラム・ウマイヤ朝の開始。
当時メッカ、メディナは争いが多く、巡礼ができませんでした。
そこでウマイヤ朝は、エルサレムに神殿を建てます。


神殿の広場は今は公園のようになっていました!

天気がよくて暖かかったため、家族連れがたくさん!



神殿の丘は本当に素敵な場所。
オリーブ山も見えるのです。


イスラム教徒ならここは自由に来れます。
広場があり、モスクがあり、岩のドームがある、イスラム教徒にとっては憩いの場。


アル・アクサーモスク

アル・アクサーモスク

モスクでは男女別々に祈祷します。
イスラム社会では早くから(3〜7歳ごろから)男女が分けられます。

アル・アクサーモスクといわれる由来は、コーランに「夜の旅」という章があります。
ムハンマドが天使ガブリエルによって空を旅して七夜で聖なるモスク今のメッカから遠い彼の地アル・アクサーに行ったと書かれています。これはイスラーといわれその目的地がエルサレムと言われています。
ムハンマドは白馬に乗って昇天し神に会ったと言われています。
これをイスラムではミラージュと言うのですが、夜に神に会った場所が、岩のドームの岩から昇ったと言われています。
この教えが、エルサレムの聖地としての正当性となっています。
アル・アクサーモスクは720年ごろ建てられました。

岩のドーム

天気が良くてめちゃくちゃ綺麗でした✨☀️








岩のドームは、先ほどのムハンマドのコーランの教えをあらわす記念堂です。
ユダヤ教の神殿の時代には、年に一回神様が空から岩の上に降りてくるとされていました。
岩の上には十戒が置かれていました。そしてその時司祭が神の言葉を聞いて民衆に伝えました。

その後神殿が破壊され、争いの世の中になり神は降りてこなくなりました。
しかし約600年後、ムハンマドが天に昇って神と面会し、イスラムの教えを決めることになります。
その場所がここであり、現在寺院の中にある岩から昇っていったと言われております。

岩のドームは691年ウマイヤ朝のカリフ、アブドゥル・マリクによって建てられました。
(アル・アクサーモスクよりも前です。)

下の部分は白い大理石に覆われています。
真ん中の青いタイルは、オスマン帝国時代にアルメニア人の職人によって改装されました。
ドームはヨルダン時代に金箔が張られました。

下から大地、空、金の輝く部分を神様として表現しています。
神様は光りで表わされることが多いです。

奥には前回訪れた聖墳墓教会も見える。


この場所は祈祷をするところです。
そして聖地であります。
そのため、建物の内部に異教徒は入れません。
(観光地ではない)

ドームは、実はビザンチン時代の教会様式で建てられており、キリスト教と同じ神様を信じているのだということを表わしています。
(イスラム教ではイエスも預言者の一人であり大切にしている)


内部は形が八角形で左右均一、東西南北に出入り口があります。
そのど真ん中にムハンマドは昇っていった岩があります。

すぐ近くに小さなドームがあり、岩のドームの内部を模しています。

手前に小さなドームがある。


その小さなドームにはアラベスク模様が✨




イスラム教は偶像崇拝しないので人物像を描けません。
だから神様の世界を、植物をモチーフにして表現したりするのです。
コーランの「マリアの章」が書かれていたりもします。



神殿の丘から出口の方に行くと、そこにも遺跡がありました。
それはマムルーク朝時代の遺跡です。


マムルーク朝は13世紀から16世紀まで、オスマントルコが来るまでこの地域を支配していたイスラム王朝です。
首都はエジプト。

マムルーク朝の人々は白人でした。
しかも元々奴隷だった人々です。
当時モンゴルによってアッバス王朝が滅びカリフがいなくなったイスラム世界をまとめました。

マムルーク朝の人々はこの地に多くの建物を建てました。
特に有名なのが、イスラム世界初めての教育施設である寄宿舎学校を作ったのです。

神殿の出口付近にはマムルーク朝様式の建物がたくさんありました。

マムルーク時代の独特のデザインがありますね!荘厳な感じです!
凹みと白と赤の大理石、ケバだった柄が特徴的です。


神殿はゲートが16ヶ所程あるのですが、異教徒が出入りできるのは一ヶ所しかありません💦
しかも結構小さい。

ゲートを出たところ



神殿の丘を出ると、迷路みたいに狭くて入り組んだ道が広がっています。

道があるかと思ったら行き止まりだったりする。
行き止まりかと思ったら突然階段が出てきて道があったりする


それは、神殿を外敵から防ぐために街をつくったからです。



このオンラインツアーでは、神殿の近くにあるダマスカス門にも行きました!
東エルサレムの人たちの憩いの場になっているところです!シリアのダマスカスではないですよ!(笑)

ダマスカス門

ダマスカス門


エルサレムの旧市街を取り囲む城壁には8つの門がありますが、その中で最も美しく、そしてにぎわっている門です。

ダマスカス門はハドリアヌス帝時代に作られました。
ヘブライ語ではシェケム門、アラビア語では「柱の門」を意味するバーブ・アル・アムードと呼ばれています。
ダマスカスに通ずる門として建てられました。(現シリアのダマスカス)


門を扇形状に階段が囲んでおり、そこをベンチのようにしてたくさんの人々がわいわいしていました。



門近くには市場もあり、周辺の村々からバスの発着所があるので、周辺の農家から新鮮な野菜が届いています。


エルサレム、とても素晴らしいところでした!!
ただ、ここは人々の衝突も時々起こるのも事実なようです。


25年エルサレムに住んでるガイドさんは言います。

エルサレムは歴史的にいろんな民族が入ってきて支配勢力が次々変わるような地域。
そこでは、国家より自分の家族や宗教、地域の方が大事になります。
そして自分の立ち位置をしっかりもっていないと生活できません。

人々の目標は神様であり、自分自身や家族や社会の幸せや平和を願っています。
ただそれぞれのやり方があるだけ。

例えばプロの机職人さん。
脚を作るのが得意な人、上部から作る人、ニスを塗るのに自信がある人、色々いると思います。
しかしどの方も素晴らしい机を作るのです。

それを自分のやり方が正しい、あのやり方は間違ってる、劣ってるっとなったときに衝突が起こるのではないのでしょうか。


そんな世界の縮図を一つのまちで見ることができるエルサレム。
いつか行きたいです!!!!


今回参加したオンラインツアーはこちらでした。




エルサレムオンラインツアーのユダヤ教編とキリスト教編のレポートはこちら↓↓




執筆者、ハイサイ・オ・ジサン

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