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ブラックボックスを読んでー泣き寝入りしない社会へー

今回皆さんにお薦めしたい本はこれです。

伊藤詩織「ブラックボックス」(2017)

著者伊藤詩織さんの実体験が綴られており、読み進めていくなかでしんどくなる瞬間がありました。トラウマのある方やフラッシュバックの症状が出る方は特に注意が必要です。
(文章はとても分かりやすく、そういった点では手に取りやすいです。)

ただ、皆さんに読んでほしいと思います。
そして、考えてほしい。いかにこの日本社会が、僕たちが性被害に対して鈍感であるかを。


本を読んで分かることなのですが、この本で伊藤詩織さんは、何も加害者の山口氏を告発したいわけではありません。

彼女が伝えたかったことは、被害者が泣き寝入りせざるを得ない法律の問題、捜査、そして社会のあり方を変えたいということです。

この社会には性被害を訴えられない構造が何重にもあります。

今ある刑法の強制性交罪は、片方の同意のなしだけでは罪に問えないことになってます。

暴行や暴力があったということも、それを証明することが難しい世の中になってます。

この本いわくレイプキットは産婦人科にはない場合がほとんどで、即座の対応のためには救急外来に行く必要があるとのことです。

また警察に行っても、訴えても意味がないと促されたり、何度も同じ話を異性の前で話させたりと、配慮のない対応。

記者会見をしようと動いたときは、センシティブを理由に断ってくる記者クラブがあったり。

まるで性被害を隠すかのように、なかったことにするかのように動いている日本社会。
それでも被害者にとっては消えるわけではありません。心身の傷はなかったことには決してなりません。


僕は思うのです。なぜ性犯罪には明白なNOが求められるのでしょうか。まるで性行為に関しては常にOKだということのよう。
詐欺や泥棒は、どんなに被害者が不注意でも、グッチの財布とか放置していても、それをすれば罪に問われます。

なのに、性犯罪は違う。痴漢に遭わないよう制服のスカートを短くするなと言われる。何が違うの?


仮に冤罪対策という意見を採用して、NOが求められるとします。
しかし、この日本社会の大きな問題点が一つ。果たして、男女関係において女性がNOと素直に言える社会なのか。

これについて思いあたることがあります。
それは、YouTuberのそわんわんさんが炎上したことです。
彼女は後にインタビューで、活動中唯一炎上したことと述べています。


このニュースを知ってカルチャーショックでした。
彼女が出会い系アプリを使い、そこで出会った男性がすぐに性行為を求めてきて、それが怖かったと話したら、調子乗んなと炎上したのです。

彼女に対して贅沢だと詰ったり、他のyoutuberから「女性に恥をかかせないために誘っている、ブスが来た時の気持ち考えろ」という動画を作られたり。

彼女は謝罪、動画削除をしました。

当たり前ですが、どんな人でもどんなときでもNOといっていいのです。ってかそれが法律では求められています。
それなのに、女性がNOと言えない社会、女性にNOを言わさせない社会になっているのです。
このそわんわんさんの炎上はそれを如実に表しています。


このブラックボックスを読んでる最中、ちょうど昨日の判決がありました。


僕は、泥酔状態=合意なしと判断されるということだけでも本当に良かったと思います。
酔っぱらう=OKという考えの人は今でも少なからずいるんじゃないかと思います。

2004年の映画「海猿」で主人公とヒロインの出会いがそういうシーンでした。主人公は行為には及びませんでしたが、すごく明るい印象を幼い僕に刷り込ませました。


映画、マンガ、文学そういったフィクションでは支配的な恋愛関係や、合意のない性行為をポジティブに描くことか多いですよね。
一時期流行った「壁ドン」について、される側を演じていた綾瀬はるかさんは、「怖い」と当時述べていました。


それに、性被害を訴える、声を上げるというシーンもあまりないですよね。

山口氏の取った行動をきっとこの社会の氷山の一角です。そして、性被害の尊厳を守る社会の体制もまだ整っていません。


本からこの一文を引用します。

自分の受けた心や体の傷に対して、一人一人違う受け止め方があり、向き合い方がある。

だからこうして声を上げた伊藤詩織さんの本や言葉から、たくさん気づかせてくれることや向き合わせてくれることがあります。


執筆者、ハイサイ・オ・ジサン

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