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『80 min. 』 下

「はぁ…」

ため息をつく。寒さのせいで煙を吐いているかのように空へと浮かぶ。
手に持った箱の中には、残った10本の煙草。いつもなら、この時間が楽しみなはずだった。

残りの本数が半分を切ったから

外が寒いから

彼が、私に、冷たくなったから?


いや、そんなわけない。

私は、1本取り出し口に咥えた。
ライターをつけると、私の瞳は温かいオレンジの光に吸い込まれた。

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1日目。

どれだけこの日を待ちわびただろうか。
10月のベランダは少し肌寒くなってきた。だが、今の私は寒さなんて気にならなかった。
煙草を取り出すと、口に咥え火をつける。最初と同じようにむせてしまう。


『また咳き込んでるの?』

「〇〇くん!」

『はい、そうですよ』


少し、心配だった。
あの出来事が私の妄想なんじゃないかと。そんな私の気持ちがわかっているのか、彼はニヤニヤと笑いながら煙を吐く。


「あのね!」


『うん』


今週の出来事を彼に話す。
彼は静かに、でも笑顔を見せながら私の話を聞いてくれた。それだけで1週間の疲れがとれてしまうくらい。
これで明日からも大丈夫だ。



頑張らなきゃ




︎ ✧



5日目。

11月にもなると、夜ベランダに出るには着込まないと寒くなってきた。
この頃にもなると、煙でむせることも無くなった。挨拶が終わると、会社の話に。


「今週は、由依さんとご飯にも行ったんだ」


『小林と?』


「うん!今回は由依さんから誘ってくれたんだ」


『そっか…。ねぇ玲ちゃん』


「ん?」


『小林、僕のことにについて何か話してた?』


不安そうな顔で質問する。


「い、いや特に何も」


『そっか、それならいいんだ』


いつもの笑顔に戻ると、煙草を吸う。
先程の表情が気になるけど、私も雰囲気を壊さないように話を続ける。


「でも、この日があるから私「頑張らなきゃ」って思えるんだ!」


『どうして?』


私は驚いた。彼の顔が笑っていなかったから。


「どうしてって。最近は後輩もできたし、それでも私はまだ未熟だから。まだまだ頑張らなきゃって」


『頑張る…ね』


彼はそう言うと煙を空に向け吐き出す。
自分の発言で何か困らせるようなことを言ってしまったのか、心配になった私は彼に尋ねてみた。


「私、なんか変なこと言った?」


『ううん。なんでもない』


「そうならいいんだけど…」


そのまま最後まで、白けた空気は変わらず彼との時間は終わってしまった。気にするなってほうが無理な話しだけど、また頑張り続ければきっとなんとかなる。


「頑張らないと…」



そんな私の思いとは裏腹に、その日を境に彼の態度は変わった。
本格的な寒さにかわる気候のように。


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オレンジの火を眺めながらこの間までの記憶を思い返した。


―――「今日は、やめておこう


煙草を箱の中に戻すと部屋の中へ戻った。
12月。今月はクリスマス。楽しく迎えるにもこんな気持じゃダメだ。

とりあえず今は仕事。任されている業務はいつにもなく大きなもの。これを成功させればきっと彼も…。


「頑張らないと…」



その日はいつもより早めに寝床に就いた。



︎ ✧




午前中、パソコンに向かい任されている業務に取り掛かる。ただ、少し体がきつい。昨日は早く寝たはずなのに。


午後休憩を早めに貰うと1人、休憩スペースへと向かう。


『大園ちゃん』


後ろから声をかけてくれたのは、同じ部署の同期の子。


『今日元気ないね?』


「うん、ちょっと…ね」


『もしかして恋人関係?』


彼女は大のゴシップ好きで会社内の出来事は何でも知っていた。
そんな彼女から聞かれた質問に私は驚いた。


「いないよ」


『あれ?そうなの、てっきり最近元気良かったから』


確かに、元恋人とは出会えたけれども。


『それに日向野さんの件はキツかったでしょ?』


直球で投げつけられた質問に答えを返せないでいた。


『いいよいいよ、だってあの日向野さんが小林先輩とだもんね』


「えっ!?」


彼女から返ってきた言葉は、私の予想していないものだった。


『あれ、これも違う?聞いてないの、あの2人が街中でデートしてたってはな…』


その言葉が終わる前に、彼女は上司に呼ばれその場を去った。でもしっかりと聞こえた


「〇〇くんが…由依さんと」


『大園さん』


声をかけてくれた人は
今1番会いたくなかった人。


「由依さん…」


『早めに休憩に入ったってきいて。体調でも悪いの?』


彼のこともあって、厳しく時には優しくしてくれた先輩。憧れた先輩。

そんな彼女が


「〇〇くんとデート、したんですか」


『えっ、その話どこで…』


私を裏切っていたなんて。


『その話はデタラメよ。私は日向野とデートなんか…』


「でも、一緒に街にいたと聞きました」


『そ、それは』


「本当ですか」


『それは…本当』


認めた。更に体が重くなった気がした。


『でもそれは』


「それは?」


『……』


「言えないんですか?」


無言を貫く先輩。


「いいです。気分が優れないので先に行きます」


『待って!』


「今は…聞きたくないです。失礼します」


私は先輩の静止を振り切り
その場を駆け足で去る。

お昼ごはんは、美味しくなかった。

その日は、残業もせず逃げるように家へと帰った。その際に、由依さんと目が合うが軽く会釈をして言葉も交わさなかった。



︎ ✧




家につくと、仕事着のまま煙草を持ってベランダへ。
煙草に火をつけるといつものように彼が現れた。


『あれ、玲ちゃん?』


私の雰囲気を察した彼。


『体調悪いの?大丈夫?』


いつもとは違い優しく声をかけてくる。嬉しいはずなのに心から喜べない。


「なんでもない」


『そんなわけないでしょ?僕ならわかるから』


「なんで…」


『え?』


「なんで今日はそんなに優しくするの。最近は冷たかったくせに!」


『それは、玲ちゃんが』


「それよりも教えて。私を裏切ってない?」


『僕が?そんなわけなよ!』


「じゃあ、私以外の女性と2人きりで出掛けたりも?」


『玲ちゃんと付き合ってからは一度も…いや、一度だけあった』


「それって、由依さんと?」


『な、なんでそれを!?』


彼の焦った様子に、事実なのだとわかってしまった。


『小林から、話し聞いたのか?』


そう言えば、彼が冷たくなって来た時に由依さんとの話をしたんだっけ。

その時も、聞いてきた
『僕のこと話したか』って。


「聞いてない、教えてもくれなかった。ねぇ、その日2人は…何してたの?」


『…まだ、言えない』


彼なら教えてくれると思っていた
どんなことでも私に話してくれると思っていた。


『まだなんだ!伝える時がきたら…』


「もういいよ」


伝える時がきたら?
その前に、居なくなってるくせに

今、こうして話ができていることが奇跡なのに?

いつなの



その時って


「さようなら」


そう告げて部屋の中へ戻ろうとする。


『玲ちゃん!』


私の前に立ち進路を妨害しようとするけど私が触れた途端、煙と同じように彼の体を通り抜けた。そのまま鍵をかけて、急いでカーテンを締めた。


寝室につくと持っていた煙草をベッドの下へと投げ込む。

その日は仕事着のまま、眠りにつく。




次の日は、仕事を休んだ。由依さんから着信が来ていたが無視をした。

カレンダーを見る。ちょうど週末にクリスマス。大事に、赤丸で囲んでいる。

昨日の出来事を思い出す。


「楽しみ…だったんだけどな」



︎ ✧




会社に復帰すると、私は仕事にのめり込んだ。
あの出来事を思い出さないように。

あの日から、何度か由依さんが話しかけようとしてきた。『日向野のことについて話したい』と何度も。私はそれを煙に巻き逃げた。

ただ、業務に全力を注いだからか無事に成功した。上司たちからもお褒めの声を貰えた。

年が明けてからも、いろいろな業務を私に依頼してくれた。その全てに全力を注いだ。「頑張らないと」と自分を鼓舞しながら。

ただ、全力を注ぎすぎた。



その日、私は職場で意識を失った。




︎ ✧




目を開けると白い天井。私の腕には点滴が。
周りには家族の姿。

私は過労と栄養失調により倒れてしまったらしい。

考えると家でもまともに食事をしていなかった。

お見舞いには会社の人達、もちろん由依さんも来ていたようだ。

数週間の入院が必要となった。
また、退院してからも数日の休みが設けられた。


私が退院する頃は、桜の美しい4月だった。



︎ ✧



「ただいま」


返事はもちろんない。

倒れるまでの数週間は部屋の掃除もしておらず汚いままだ。

しっかりと療養したため体調はバッチリ。


「まずは掃除…だね」


掃除を進め、次は寝室。
ふとベッドの下を掃除すると。


「あっ…」


あの日投げ捨てた煙草の箱が出てきた。


「これにもお別れしないと…」


私はベランダに出ると箱から1本ずつ取り出す。
灰皿にそれを折って捨てていく。


そして最後の1本。


「…バイバイ」


届かないはずの言葉
でも次に進むためには必要。

箱の中に手を入れる。


『僕はまだお別れしたくないな』


「えっ」


その声は私の隣から。


『まだ、君に伝えれてないことがあるから』


「…嘘」


ライターは持ってきていないのに、彼の口の煙草には火が灯っている。


『玲ちゃん、話聞いてくれる?』


彼はあのときのように微笑みを向け私を見た。
咥えた煙草を手に持つ。


『まず僕が冷たかかったこ…』


「ちょっとまって…。その前になんで今、現れてるの?」


煙草は完全に折って捨てたのに。


『…あの条件、嘘なの。ごめんね。地縛霊みたいな感じでこの場所にいるだけなんだ』


「地縛霊?」


『うん、ここでいろんなことを玲ちゃんと話したからさ。煙草はあればいいの、貢物みたいな?』


飄々とした様子で笑う。


「……」


『あ、あれ?』


「私、あんなに咳き込んだり辛い思いしたのに…」


『ご、ごめんよ』


彼の少し困った顔が見られたので良しとすることにした。


「それよりも、なんで冷たくしたの?」


『あぁ。その話だったね。考えていたんだ、どうすれば上手く伝えられるのかって』


彼は空を見上げた。


『玲ちゃん、「頑張らなきゃ」って言ってたでしょ?』


確かに言っていた、彼を安心させるために「頑張らなきゃ」って。


『僕のせいで、玲ちゃんは頑張らないといけないのかな…なんて思っちゃったんだ』


「それは…」


『僕には少しの時間のつもりだったんだ。煙草を吸う少しの時間。でも、玲ちゃんには何週間もの出来事だったんだよね』


「そうだったんだ」


『ごめんね、辛い思いさせちゃって』


彼との時間の流れに差があることを考えもしなかった。


「ううん」


『そして、2つ目。小林とのこと』


その言葉に、心臓が跳ねる。


「少し、時間をちょうだい」


『いいよ、だって今日は8本の時間があるからね。少し話そうか。今って何月?』


彼に、今までの出来事について説明をした。

入院したといったときは、真剣に怒られた。久しぶりに怒られて怖かったけど、彼が怒るのは私を思ってからのことだと改めて気づくことができた。


『次からは気をつけるように』


「はい、先輩」


昔のようなやり取りに、目を合わせて笑う。


『準備、できた?』


これ以上、先送りには出来ない。覚悟を決める。


「うん」


『でも、僕から話しても信じにくいと思うから小林に会いに行って』

「えぇ…」


私の決心はどこへ。


『明日、会えるか聞いてみて。アレを受け取りに来たって言ってさ』


「…分かった」


由依さんと話すのはいつぶりになるだろう。これまでの行いにも謝罪をしないといけない。


『もうそろそろ時間だ』


灰皿を見ると、残り1本に。
これが無くなると、残すは箱の中の1本だけ。


『玲ちゃん、僕のモットー覚えてる?』


彼は変わらぬ笑顔で私に問う。


「もちろん」


「『他人に甘く、自分にも甘く』」


『流石だね』


「だって、彼女なんだから」


『じゃあ、この言葉通り自分に甘くね』


彼は言葉を続ける。


『もう十分すぎるほど頑張っているんだから。自分くらい、褒めてあげて。1日の終りには甘やかしてあげて』


「〇〇くん…」


『頑張りすぎる玲ちゃんにピッタリだね』


「そうかな」


『そうだよ』


「じゃあ、そういうことにする」


『それがいい』


そう言って彼は、持っていた煙草を口に運ぶ。


『またね』


「うん、またね」


煙とともに彼の姿が宙に舞った。
そして直ぐに、由依さんに連絡した。
「返ってこないかも」という心配は杞憂に終わる。秒で返ってきた返事、そこには明日の集合場所が。


不安と期待を胸に明日が来るのを待った。



︎ ✧



集合時間前だというのに、公園には由依さんがいた。この公園は、彼の家の近くにありよく訪れていた。


「由依さん」


『玲ちゃん』


久しぶりの会話に少し緊張してしまう。


「あの…今まですみませんでした」


『私こそごめんなさい。どうしても話せなかったの、でも…』


「はい、アレを受け取りに来ました」


『何でその言葉を知ってるか問い詰めたいけど、今は止めておく。だから、全部終わったら話してくれる?』


「はい、必ず」


『じゃあ、行こうか』


由依さんと向かったのは、〇〇くんの実家。

玄関にはすでにご両親が待っていた。


「お久しぶりです」


『玲さん…お久しぶりですね』


あの日以来、訪れられなかった彼の実家。


「アレを受け取りに来ました」


そう告げるとご両親は由依さんへと視線を向ける。それに頷いて返事をする由依さん。


『少し待っていて頂戴』


お母さんが部屋の中に入り
1つの紙袋を持ってきた。


『これは、〇〇が最後に残したあなたへの贈り物よ。中身は覚悟が出来てから見てね』


「はい」


『そして落ち着いたら、また顔を見せに来てくれるかしら』


「はい」


袋を受け取ると、その場で由依さんと別れ自宅へと向かう。

彼との最後の時間を過ごすために。



︎ ✧



ベランダに、紙袋と、最後の1本が入った煙草を。
準備は整った。箱から煙草を取り出す。

直ぐに彼が隣に現れる。


「持ってきたよ」


『…中身、見た?』


彼はどこか緊張している様子で私に尋ねる。


「まだだけど」


『…よし。じゃあ、中身を見て』


中には大きな箱
その中に大事そうに入っていたのは


「こ、これって…」



手のひらサイズの小さな箱。



『あの日、煙草を買いに行くと嘘をついて受け取りに行ったんだ。これを渡すのは、君が辛くなるだけだと思うけれども。どうしても渡したかったんだ』


箱を開けると中には、春の日差しで綺麗に輝く


一個の指輪



『これが僕の未練』


私は涙を堪えることが出来なかった。


『最後にわがまま、聞いてくれる?』


私は頷く。
彼の手が箱に伸びる。持てるはずのない箱は彼の手に乗る。


『良かった、これも貢物なのかな』


そして私の前で片膝をつく。


『大園 玲さん』


「……はい」


『僕と結婚してくれますか?』


「・・・・・喜んで」


彼は「じゃあ」とゆっくり立ち上がり私の手を掴む。その手は、冷たい。
けれど、懐かしい感覚。

そして、指輪がゆっくりと私の薬指へ。


『似合ってる』


「ありがとう」


『君の手のぬくもりが伝わってる気がする』


「私は冷たいけど」


『最後まで、手を繋いでてもいいかな』


「うん」


『玲、好きな人ができたら報告してね』


「うん」


『僕の分まで、その人を愛して幸せになって』


「…うん」


彼の体が陽射しと交わるように薄くなる。


『玲、愛してる』

「私も……愛しています、〇〇くん」


瞬きのため。目を瞑る
開けたその時には、彼の姿は消えていた

薬指の指輪と共に。


風が吹き、空高く桜の花びらが舞う

天へと続く花びらは
まるで道のようにどこまでも舞つづける


「ありがとう…またね〇〇くん」



︎ ✧


4月
葉桜に変わった公園のベンチに、2人の女性


1人の女性が立ち上がると話をはじめる



これから話すことは、俄には信じがたい
でも私が体験した、約80分間の
      
彼との少し奇妙で幸せな物語




大園 玲




~80 min.~

















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