『「まて」が出来ない私たち』
「コテツ~」
わふっ
「ふふ…起こしてごめんね。ゆっくり寝てて」
私の声に反応し返事をくれたのは愛犬の『コテツ』。
人間の歳だとおじいちゃん。
美しかった毛並みも艶がなくなってきた。
体力も衰え、一日中寝て過ごすことが多くなり
一緒に散歩をすることも出来なくなってしまった。
「じゃあ学校行ってくるね~」
……わふっ
珍しく起き上がり私をお見送りしようと後をつけてくる。
「まてだよ」
しかし、コテツの動きが止まることはなかった。
結局、つたない足取りで玄関までやってきた。
「もう…まてが出来ないんだから」
わふっ
「元気に返事したって許さないよ、まったく」
「ふふ…いってきます!」
わふっ!
いつもより大きなコテツの声に少し安心した。
私はコテツに見送られ玄関を出た。
︎ ✧
通学路でも考えていることはコテツのこと。
「今日は何をしてあげようかな~」
いつもより体調が優れてみえた。
最近は寝ている姿しか見ていなかった。だからその少しの変化でも嬉しかった。
登校中にもかかわらず、家に帰ってからのことを考えるくらいだ。
『あやめちゃ~~ん!』
「え!?」
普段より注意散漫になりながら歩いている私の後ろから大きな声で名前を呼ぶ声が。
「わっ!」
『へへ…あやめちゃん!』
すぐに振り返ったがその人物は私のすぐ近くまで辿りついていた。
「〇〇…?」
弾けるような笑顔をしているのは、幼い頃から家が近所でよく遊んでいた〇〇。
同じ高校で登下校も時間が合えば一緒だ。
「あれ、カバンは?」
彼は持っているべきカバンを手にしていない。
『ん?そんなこと気にしないの!』
彼はそう言うと私の手を掴み、学校とは真逆の方向へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと…」
『いいからいいから~』
男子の力に勝てるはずもなく、私は彼の後ろを歩き出す。
いつもより機嫌がいい彼と歩く道は
なんだかとても懐かしい。
『ひさしぶりのおさんぽ~!』
『あっ、みてあやめちゃん!』
彼は私を掴んでいた手を離し、指さした場所へ走り出す。
「いきなり走り出さない!」
『ほら!どんぐりがいっぱいだよ?』
童心に帰ったように、足元のどんぐりに喜ぶ。
『これがぼくので、はい!これはあやめちゃんの!』
「あ、ありがと…」
屈託のない笑顔で差し出されたため断ることなど出来なかった。
まさかこの歳で幼馴染からどんぐりを貰うことになるとは。
『よし、つぎはこっち!』
再度、私の腕を掴み歩き出す。
「ま、まって…」
こうして彼に引かれて歩いていると、犬の散歩をしているような気分になった。
懐かしいと思ったのは、何も景色だけじゃなかったみたいだ。
︎ ✧
「はぁ、はぁ、まだ…上るの?」
『もうすこし!』
彼は坂の先に連れていきたいようだ。
『ついた~!』
坂の上には馴染みの公園とそこから映る街の景色。
ここは思い出の場所。
そう私と彼と、コテツの“3人”の。
『ひるでもながめがいいね』
「そうだね」
『“最後”に、ここにきたかったんだ』
彼の言葉に私は何も答えることが出来なかった。
返事を返したら認めてしまうことになるから。
『ねぇあやめちゃん。もう気づいてるんでしょ』
「………うん」
ついに認めてしまった。
『やっぱり伝えとかないと。お話、聞いてくれる?』
おどけながら首を傾げるがその瞳は真剣そのものだ。
ベンチに座り、2人で話をした。簡単な思い出話。
ずっと君と話したかった、でも実際に体験すると後悔に変わった。
君との別れがこんなにも辛くなってしまうから。
『最後はお願いね。朝はちゃんと早起きしようね。もう起こしにはいけないから』
「大丈夫、最近は意識してるから」
『運動もちゃんとするんだよ』
「うん」
『あとあと…』
その後も普段の家での生活について有難いお言葉を貰った。
『それと、ちゃんと甘えられる時に甘えること!』
「えっ…?」
『最近は大人ぶろうとして疎遠になってたんじゃない?気をつけておかないと、彼氏くん優しすぎるんだから』
「それは、そうだけど…」
『あやめちゃんに逢うまで街のいろんな女性に話しかけられたよ?視線も凄かったし』
「そ、そうなの…」
『ちゃんとリード握っておくくらいしないと!』
「うん、わかった」
私の返事に『うんうん』と嬉しそうに頷く。
その時、スマホが震えた。
画面には家族からの連絡。
「っ……」
画面に映し出された文字を見て、小さく息が漏れた。
『じゃあ最後に』
隣に座っていた君は、目の前に立つと私の視線に合わせるようにしゃがみ込む。
『頭をなでて…。ぼくの名前を呼びながら』
君に手を伸ばす。その手は震えて視界もぼやける。
「……っ、いい子…いい子だね」
“コテツ”
頭を撫でられた君は幼い笑顔で笑った。
『へへっ!嬉しいなぁ。じゃあ僕からも!』
君は手を私の頭の上に。
『やっとしてあげられた。本当にありがとう、そしてバイバイ』
―――大好きだよ 、 あやめちゃん
私は唇を噛みしめる。
まだ泣いてはいけない、心配させちゃいけない。
だって約束したから。
不意に頭にあった温もりが無くなった。
君を見ると体がゆっくりと後ろへ倒れる。
「コテツっ!」
伸ばす手が間に合うはずもなく、そのまま仰向けに倒れた。
「いってぇ!」
聞こえた悲鳴は、先程よりも低い声だった。
「背中がいてぇ。うっ…まって吐きそう。頭もガンガンする…もう二度とするもんか」
この声、この喋り方
「〇〇…?」
「おう。ちゃんと別れの挨拶は出来たか、あやめ」
目つきが鋭くなったが、目の奥の優しさは変わらない。
体を擦りながら私の隣へと腰を下ろす。
彼の視線は私の開いたままのスマホに向けられた。
「やっぱりそうか、家戻るか?」
「ううん」
「そっか」
「ねぇ」
「なんだ?」
「またしたの?」
「…もうしねぇって決めてたけどさ、わかんだよ。アイツのこと」
彼には不思議な力があると昔話してくれた。
動物と会話ができると。そしてコテツに体を貸せるとも。
幼心に覚えていた。でも歳を重ねると「彼が楽しませようとしてくれてただけかも」そう考えるようになった。
でも今なら「嘘じゃなかった」とはっきり思う。
先程までの彼は、幼いときの君そのものだったから。
「体貸したときおもしろかったぜ?『視線が高い!体が軽い!』って大はしゃぎでさ」
「でもそうか、天国…行っちまったか」
そうか、間違いじゃなかったんだ
君は最後に私に会いに来てくれたんだね
気づくと私は声を出しながら泣いていた。
彼は何も言わず、私が泣き止むまで
そっと手を握ってくれた。
その手は木陰の少し肌寒い空気を忘れさせてくれるくらい
あたたかかった。
︎ ✧
次の日の朝
私たちはまた昨日の公園にいる。
「あやめー、俺これ以上サボったらやばいんだけど」
「聞こえなーい!」
彼は愚痴をこぼしながら公園の片隅に穴を掘っている。
「まぁ、笑顔ならいいんだけどさ」
「何か言ったー?」
「なんでもねぇよ、ほらこれでどうだ」
「うん、バッチリ!」
私はコテツが好きだったおもちゃを穴の中へと入れた。
「また来たとき、ここで遊べるように」
「そうだな」
彼はまた穴を埋めるためにスコップを持つ。
その際、何か穴の中に入れているようだった。
「何してるの?」
「ん?いや、なんでもねぇよ。あれはアイツのもんだからな」
最後の言葉は風によってかき消されて聞こえなかった。
「さて、学校行きますか」
「うん。それじゃあ…」
ベンチで少し休憩していた君の前に立つ。
「お手!」
「おい、あやめ」
彼の不機嫌そうな返事。その態度とは裏腹に彼の手は私の上に。
「わざとだろ?」
睨む彼に「わからないな~」とおどけてみせた。
これは体を貸す、副作用のようなもの。
暫くの間、私の命令を断れないらしい。
私よりも大きい彼の手を引き寄せ、学校への道のりを歩き始める。
「学校では秘密じゃなんだろ?」
「コテツに言われたからね」
「なんか入れ知恵しやがったな…。まぁ、あやめがいいなら」
「リードはちゃんと握っとかないと!」
「なんだそりゃ…」
昨日の話を聞いて心配になったとかそういうわけじゃない。
ただ少し…
「〇〇がいけないの!」
「わっ、急に大きい声出すなって」
いつもと変わらない表情の彼。
「ばーか!」
彼の手を解き走り出す。
「お、おい…まて!」
「ふふ…止まらないもーん!」
彼の静止を振り切りいつもより長い通学路を走る。
捕まった頃には2人とも息が上がっていた。
「はぁー、疲れた!」
「はぁ、はぁ、まったく」
「はい、お手」
「それやめて」
それでも彼の手は私の上に。
また手を握りながら歩き出す。
昨日も歩いたはずなのに周りの景色に目移りする。
「あっ、どんぐり!」
「この時期にかき氷!?」
「大きな雲~!」
その度、彼は私が走り出さないように手を握る力を強くする。
最終的には「これじゃリード握ってんのは俺の方だな…」って言ってきた。
だってしょうがない。不安、なのかもしれない。
そろそろ校門が見えてくる頃だ。
私は彼に向き直る。
「よし!」
「今度はなに」
「ハグ!」
「な、なっ…!」
動揺を隠せない彼。今度は珍しく耐えている。
しかし、その努力も虚しく彼の両腕が開かれる。
その間に彼の胸の中へ飛び込む。
「暖かい…」
「おい…恥ずい」
彼の言葉なんかお構いなしに抱きしめ続ける。
「ねぇ…」
無意識のうちに抱きしめる力が強くなる。
「私の前から……居なくならない…よね」
言ってしまった。でも昨日コテツとお別れをしてから怖い。
いつか彼も私を残して居なくなってしまうのではないかと。
彼からの反応はない。
「ご、ごめん…何でも」
急に恥ずかしくなり彼から離れようとする。
それを彼の大きな腕に邪魔され、逆に抱きしめ返される。
「えっ…ま、まって」
するとされるとでは大違い。
こんなにも恥ずかしいなんて。私は必死に彼に命令する。
「こ、こらまて!」
「やだ」
「まてだよ、もうまてだってば!」
副作用が切れたのかどんなに言っても離れてくれない。
「アイツも“まて”は苦手だったろ?」
確かに、私に駆け寄る時などは“まて”が出来なかった。
だからといってそんなところまで再現しなくてもいいのに。
「居なくなんないよ」
彼はまっすぐこちらを見つめながら伝える。
「コテツに言われたんだ。『言葉で伝えなさい』って。ちゃんと聞いてくれよ?」
その後、彼は気持ちを言葉でたくさん紡いでくれた。
最終的には、私はもちろん、彼も顔を真赤にしていた。
そんな時、懐かしい鳴き声が聞こえた気がした。
彼も同じだったみたい。
その嬉しそうな声に私たちは顔を見合いながら笑った。
︎ ✧
別れはどんなタイミングだって来る
それは一瞬でも、永遠でも
だから一緒のときは我慢なんてしない
君がそうだったように
私たちも気持ちには「まて」なんて出来ないから
〜『「まて」が出来ない私たち』〜
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