好奇心よ、おかえり
やりたいことリストが書けない。
毎年年始の個人的な恒例行事で
その年にやりたいことをひたすら書き続けて
だいたい100個くらいずらーーーーっとリストにしているのだけれど
今年はなんでか全く指が動かない。
あれ?
別に深刻な話ではなくて、
シンプルに「やりたいこと」が浮かばない。
うーんと唸りながら
去年のやりたいことリストを見つめる。
そのリストを見つめても、ふーんとしか思わない。
あれれ?
しょうがないので、とりあえず一旦放置することにした。
「何か」が見当たらない感覚だけが残る。
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フルタイムの仕事に復帰してしばらく経つ。
「仕事をすること」は楽しい。
世の中がどんな風に回っているのかを窓際から眺めているような感覚。
20代の時と違うのは「家族」がいること。
当時は二足のわらじでも休日に学校に行っても
すべてを自分の時間に当てても誰も何も言わない。
今思うと、この「すべてを自分の時間にあてる」中で
ギリギリで無意識に「何か」を回復させていたんだろう。
もちろん今も「すべてを自分の時間にあてた」とて
旦那さんはなんにも言わない。
むしろそれであなたが幸せならそうして欲しいとまでいう人だから。
でもそうじゃなくて
わたしが「家族に時間をあてたい」と思うから
だから色々なバランスが変わってきたのだ。
「何か」はずっと回復しないまま
この東京の日々の中でわたしは頑張って生活してきたよう。
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わたしは競争がとても苦手で
そして競争に全く興味がない。
「先に行きたい」という人がいるなら
「どうぞどうぞ」と率先して渡したい。
しかしながらこの世に生きていると
急に競争が始まってしまうことがある。
わたし自身はそのトラックに乗ったつもりがなかったのに
なぜか急に隣に全力疾走で走っている人達がいて
誰が一番に辿り着くのか煽られて
「え?!え?!」と思いながら、
腕に何か怪しい注射を打たれたのか
「一番にゴールしなければならない」と思わされ
力みながらトラックを走りづつける。
そして一番を取れないことで自信を失い、
自信を取り戻すためにまた競争のトラックに乗る。
気がつくと
この競争でわたしは「何か」を全部消費してしまっていた。
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自分の使いたい方向に「純粋な好奇心のエネルギー」を使えず
生きるために「ブーストのようなものに変換したエネルギー」として
使わざるを得なかったここ数年に、本当にここ数週間でようやく気づいた。
ただ、これもしょうがないのだ。
ライフステージが変わる。
大切にするものも変わる。
環境も周りの人も変わる。
そりゃそうしないと生きれないよ。
愛すべき友人にこれを話したら
「それもすべて自分を守ろうとする防御反応」だと言われ
心の底から納得してしまった。
ちゃんとしようとしてた、ということ。
でもこれで気づいてしまったのは
「わたしは普通の人生は無理だ」ということ。
(普通ってなんだ?もまた議論の余地はあるが)
旦那さんの「だって僕たちクレイジーな生き方しようとしてるじゃん?!普通って無理じゃない?!」の一言に、ハッとさせられた。
働き方を変えるとか
急に宇宙に行きたがるとかそういうことじゃなくて
わたしはもう競争のトラックに乗らない。
仕事も頑張る。学びたいことも頑張る。
けどそれは、自分の「純粋な好奇心」のためだけです。
見失ってた「純粋な好奇心」が少しずつ回復してきた感覚。
頑張って守ろうとしてくれていたわたしの無意識よ
本当にありがとう。
2024年も終わりそうになってきたこのタイミングで
「2024年のやりたいことリスト」に筆が乗り始めた今日この頃です。
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