【レポート #10】福島県・双葉町議会議員選挙レポート(2021 1.24)
私が住む長野県南部から福島県に行くというのは結構な長旅でして、高速道路をフルで使っても片道5時間以上かかります。 とかく “経費” を気にする私が何故そこまでして行こうと思ったか。 それは双葉町という自治体が全国でも唯一の特殊な状況に置かれているというコトと、東日本大震災が遠く離れた長野県に住む私にも大きなインパクトが有り、選挙ウォッチャーをやる上でもう一度見ておきたいと思ったからです。
2月1日に、選挙取材がしやすいように『改名』を予定していて(「選挙」という重要な事実を取材するのに名前が「妄想」なのはマズいというコトはサスガに自覚しておりまして・・・)、それに合わせて、勝手ながら(見習い)の文字を外させていただく予定で、見習い時代の総決算としてこの選挙を取材するコトにしました。 なので “採算度外視” です!(←でも買っていただけると嬉しいです・・・)
なので今回は選挙取材と合わせて東日本大震災から間もなく10年が経過しようとしている被災地の『今』を、レポートします。
◆概要
(双葉町役場 いわき事務所)
面積:51.42㎢(福島県 第50位) 双葉郡に属する福島県浜通り(太平洋沿い)の町で、大熊町・浪江町と隣接する
人口:5,911人(※)(福島県 第40位)※2021年1月1日現在
(※)ただし、町の北東部と双葉駅周辺のそれぞれ一部を除いたほぼ全域が「帰宅困難区域」(除染・復旧工事関係者以外の一般住民の自由な行き来が終日制限される)ため、町内に住んでいる人は、0人(Google調べ)である
・冬でも雪が殆ど降らないため、震災前はカーネーションの栽培が盛んで、しらす干しやちりめんじゃこが名産だった
・福島第一原子力発電所の5号機と6号機が立地していた
・現在、市役所機能は福島県いわき市に仮庁舎「いわき事務所」を設置。 その他、町民が避難している県内外の地区(郡山支所、南相馬連絡所、埼玉支所(埼玉県加須市)、つくば連絡所(茨城県つくば市))に設置している
・2014年9月15日、町を縦断する国道6号の一般車両の通行全面可能になる
・2020年3月14日、町を縦断する常磐線の全線復旧に合わせて双葉駅が営業再開
・2020年9月20日、町内に東日本大震災・原子力災害伝承館が開館
◆私と「東日本大震災」
取材内容に入る前に、私の中の東日本大震災について書かせて下さい。
「あの日」、私は市役所にいました。 実は翌日に引っ越しを予定していて住民票異動の手続きをするためです。 長野県南部は震度4でしたが(今のところ)大きな地震が来ない地区なので大きく且つ長時間の揺れに驚きましたが、大津波警報の第一波が到達する時間が来ても役所のテレビから流れるNHKニュースで現地の映像を見て特に変化が無かったので安心して市役所をあとにしました。
次に警察署で免許証の住所追記の手続きをしたあとに、そういえば行きつけの居酒屋の女将さんが独り暮らしなのを思い出し、そうはいっても震度4だから念のためにと電話をした時に初めて津波の状況を知り、家に戻って慌ててテレビを点けて・・・ 津波が街を襲う映像に絶句し、恐怖に震えると同時に、東北の方が大変な目に遭ってる中で引っ越しなんてしてる場合か! と新居に浮かれていた自分を恥じました。 そして引っ越しを手伝ってくれる予定だった友人の一人の実家が宮城県の被災地域で、
「こんな状況だから明日、無理しないでイイよ」とメールしたら、
「地震直後には電話が繋がったけど今は連絡がつかない。 一人でいたら気が狂いそうだから手伝いに行くよ」と返信が来て、ますます落ち込んでしまい段ボールだらけの部屋で眠れぬ夜を過ごしました。
2012年から私の大好きなテレビ番組「水曜どうでしょう」の藤村忠寿・嬉野雅道 両ディレクターが宮城県女川町の「蒲鉾本舗 高政」の現社長と交流を持ち始め、2013年5月には当時大好きだった「ももいろクローバーZ」がこれまた女川町と交流を始めたので、是非私も行ってみたいという「聖地巡礼」のような不埒なキモチで2013年8月、女川市を含む東北を旅したのですが、いわき市から国道6号を行けるところまで行こうと北進したところ、生活感の有る街並みは段々無機質な風景に変わり、通行するクルマはパトカーと福島第一原発で廃炉作業をする作業員の送迎バスだけになり、富岡町(双葉町からふたつ南の町)で通行止めになり迂回しながら町内を見たのですが、「あの日」から時間が止まったままの街並みがそこに有りました。 いわき市などは震災から2年が経過しある程度の復興が進んでいたのに、津波の被害が無く建物が崩れているだけなのが放射能のせいで帰宅できず復興も出来ない富岡町の中心部、そして目の前を横切る野生化したニワトリや猫を見て、初めて震災の被害を実感したのでした。 テレビでイヤになるほどニュース映像を見て知った気になっていましたが現地で見ると大違い。 その場に行かなければ分からない「現実」が、そこに有ったのです。 この旅は当時趣味としていたカメラをクルマに乗せていたのですが、とてもじゃないけどレンズを向けるキモチになりませんでした。
翌日、郡山市から南相馬に立ち寄り、かつて住宅地だった場所が根こそぎ失われて一面の雑草地帯になっている状況を目の当たりにし津波の恐ろしさを実感したあとに女川に入り、横倒しになった女川交番を見て津波の威力を実感。 訪れた日は迎え盆の日だったのですが、港では若い衆がイベントを催し屋台が出て盛り上がっている横で、家族連れがブロック3つを「 Π 」の形に並べて祭壇に見立て、座って手を合わせている光景を見て、震災から2年経過して前に進んでいる部分と進めない(進みようがない)部分を目にしたりした旅。 復興が進んだらもう一度訪れたいと心に誓い女川をあとにしました。
2018年、イロイロと人生の行き詰まりを感じ家で悶々と過ごしていた6月のある日、不意に朝4時に目覚めて二度寝も出来そうになく何をしようかと思案した時、脳裏に女川の風景がよぎり、そういえば女川は石巻線が復旧し女川駅も営業再開して、最も復興が進んでいる地区として名が知れているコトを思い出し「よし、行ってみるか」と軽いキモチで約600km(ほぼ下道)クルマを走らせ12時間かけて女川に到着。 旧女川交番は震災遺構として保存され、かさ上げされた地に建つ駅から美しい商店街が広がり、あの根こそぎ失われた街並みがこうも変貌するのかと驚かされました。
帰り、全面通行が可能になった国道6号を南下してから帰ったのですが、帰宅困難区域に入ると国道から横道に入る入口はもちろん、道路沿いの住宅という住宅の入口がバリケードで封鎖されている光景を目の当たりにし、原発事故の恐怖と原発政策の愚かさを改めて感じたのです。
そして2021年、この双葉町議選が行われるのを知り、選挙取材も兼ねて再度訪れたいと思い、双葉町と南相馬を含む福島県浜通りと宮城県女川を2年ぶりに訪れたのです。
長くなってしまい申し訳御座いません。 話を町議選に戻します。
◆立候補者
◆前回(2017年)の選挙結果
前回は無投票でした。 今回も選挙は実施されますが定数8に9名立候補という少数選挙ですが、双葉町には大きく選挙戦が出来ない特殊な事情が有ります。 まずはその辺りから触れていきましょう。
◆POINT① 町長選挙は無投票当選
町議選と同日に投票予定だった双葉町長選挙は現職の井沢史朗氏が無投票で3選を果たしました。 震災後の2013年に行われた町長選で新人3氏を抑え初当選し、2017年に続いて2連続の無投票当選で、双葉町の事情を考えるとなかなか対抗馬は現れないかもしれません。
◆POINT② 双葉町に住民は、いない
(福島民友新聞より)
概要にも書きましたが現在双葉町は町域の96%が「帰宅困難区域」に指定されていて、解除されている区域も施設(後述)が建っているのみで住んでいる人は誰もいません。 住民も候補者も県内外に避難して生活している中での選挙戦です。
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