隙あれば自分語りの時間(ようちえん)
履歴書書く機会とか人生振り返る機会とかめっちゃあったから覚えている範囲で書いてみようかなって。
今までの人生の振り返り、終活みたいなものです。
一番記憶が薄いと思う幼稚園編の変人エピソード。
ようちえん
好きな子がいて、その子に向かってライバルの子と争って走っていたら先生につままれて、ライバルの子共々物置に監禁される。
この先生、ベネトンの服着てたのをよく覚えてる(F1を初めて知った)
好きな子のおばあちゃんは、よく私の家にパンフレットを持ってきてくれた(めっちゃ言い方をぼかしています。
除雪車作るっていって紙をめためたに切って雪作ってた。
嫌な思い出の写真には血がついてた(塗りつぶそうとしてた?)
夏は幼稚園の庭で夏祭りをやっていた。
今でも忘れられない土と花火の匂い。
盆踊り踊ってお菓子もらって帰ってくるっていう夏休みの思い出。
秋、11月くらいには街のホールでお遊戯会。
ドリカムの晴れたらいいねを初めて聞いたのと、いか踊りを踊った思い出。
ニチイにあった鉄道模型のレイアウトの中にあった標識が見たくて見たくてしょうがなかった。
裏側しか見えなかったんですよね。どうしても表の標識が何なのか気になってしょうがなかったです。
この頃から、車や鉄道や標識が好きです。
車でお留守番中にクリスマスプレゼントのラッピングを車内で破ろうとして父激怒。
クルマから連れ出されイトーヨーカドーに強制的に連れていかれる。
めっちゃ怒られたの覚えてます…
お店のシャッターが閉まる=朝まで出られない
イトーヨーカドーでの出来事でした。
「まもなく閉店のお時間です。」のアナウンスが鳴り響く店内。
「早く!しまっちゃうよ!」と焦る私。
お店のシャッターが閉まったら朝まで閉じ込められると思っていました。
また、当時のイトーヨーカドー帯広店は今のようなお店ではなく、高層型で窓の光があまり入らない「締め切られている」雰囲気だったのもそう思った原因かもしれないです。
カナディアンワールドに行って赤毛のアンのお弁当箱を買ってもらった。
グリュック王国に行って園内の列車に乗った。
岩見沢の三井グリーンランドに連れて行ってもらった。
「実は」と親戚のおじさんに怖い話をされてめっちゃ怯えたのを覚えています。
どこか遠くにバスで行ってビデオを見た
海沿いで、バスに乗ってビデオ見てる、青白い、なんとなくみんな浮かない、という感じだったのでお葬式?に向かっていたのかな。
夜寝ようとすると、床がパッカーンって開いて落ちる感じがした。
しかもこれ、横から見た感じで落ちていくんですよねなぜか…
玄関に怖いものが見える、という想像がずっとあった。
大きな顔の人?女の人?が玄関のドアを開けると居て、慌ててドア閉めるとガンガンたたかれて開けようとしてくるというとても怖い想像でした。
その時の話をベースにかいたやつ
トイレに落ちると二度と這い上がれないと思ってた。
底が見えないので落ちたら終わりだとビビってました。
行動範囲外に怖いものがある。
「この先には棄てられたおぞましい廃墟がある」みたいなのに囚われていました。
今だとグーグルマップとかあるからすぐ判っちゃうんですよね…すごい時代だ。
よく釧路にドライブに行っていた。
私の中で唯一のダイエーハイパーマートに連れて行ってもらった。
ベルトコンベアのレジに感動した思い出があります。
釧路の焼肉バイキングビッキー、白糠の老麺やはたさんに行った思い出。
富良野によく連れて行ってもらった。
富良野ではケンタッキーと「セブンイレブンのシェイク」を買ってもらっていた記憶があります。
シェイクは富良野に行ったときにしか飲めなかった特別な飲み物でした。
セブンイレブン自体、富良野行ったときにしか行かなかった記憶…
でも、富良野に何しに行ったのかという記憶は一切ないです。ドライブ?
泊まりに行くとすぐに帰りたがる
良く思い出話として親から聞かされました。
「ホテルに泊まりに行っても、とにかく家に帰るって叫んだり朝早くから玄関にいたりした」とのこと。
家じゃないと落ち着かなかったのか、それとも…?
お昼は恐怖の時間
たまたまお昼に自宅にいて父親が食事に戻ってくると「うるさい!」と怒られ別室に隔離させられていました。
食べ終わるまで
フキとブロッコリーが苦手で、それぞれが出た時「残さず食べろ!」と父親激怒。
別室で泣きながら食べ終わるまで母親に付き添ってもらいました。
遅い
髪を切りに行ったり、何か予定外のことがあったりすると「遅い」と父親に怒られていました。
父親が怖い、怒られるのが怖いというのはここで植え付けられたような気がします。
それがいまだに引きずっているのが良くないですね。
良くないけど、怖いものは怖いんです…
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