幸せは、だれかに与えてもらってこそなの?
「パールのアクセサリーなんてものは、誰かに買ってもらうもんよ。たとえば、恋人とか」
いちばん最初に、母に言われたのはいつだっただろう。
小学生だった気がするし、中学生だった気もする。大学生だったかもしれないし、高校生だったかもしれない。
母がつけていたパールのイヤリングを見て、「それが欲しい」なんて、口にしたわけでもなかった。めずらしく鏡台にむかって、イヤリングをつけている母と、鏡越しに視線がかちあっただけ。
「ママは、パパに買ってもらったんよ」
美しく微笑まれたことは、覚えている。
ジリジリジリと蝉の声がしていたか、ゴォと雪と風の音がしていたか。判然としないけれど、母の顔と、唇の動きと、声色ははっきり思い出せる。
記憶なんて、いつだって不確かで、摩訶不思議だ。
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迷っていた。銀座で、迷っていた。
道に、ではない。東急プラザへの道は、自身の方向音痴を許容しているからこそ、念入りに調べていた。あまりに簡単にたどり着けて、拍子抜けしたほど。
でも、わたしは迷っていた。
気まぐれに耳にあてた、パールのピアスがすごく欲しくなったから。
ほんとうに、思ってもいなかった。もっと言うと、買おうと決めていたのは、レザーのピアスで、それはもちろん買うのだけど、勧められるままにあてたパールのピアスがどうしても、手放せなくなった。
花みたいな、雪の結晶みたいなシルバーに、小さなパールがひっついているピアス。
見た瞬間に、落雷に打たれたみたいな衝撃をもって、ほしいと思えたのだったら、話はもっと早かったのかもしれない。そうじゃなくて、じわじわと、植物が根を張るみたいに、指先の神経とパールのピアスが伸ばした何かがつながってしまったから、ただじれったく、悩ましかった。
言葉の記憶は、不幸な場合、呪詛になることがある。
母の言葉は、そのときその瞬間、たしかにわたしへの呪詛だった。
生まれてはじめて、傍らに恋人がいないことに、思い煩う相手がいないことに絶望的な気持ちになった。わたしは、わたしが買う以外の選択肢を、このパールのピアスに持ち合わせていないのだ。
2時間以上、迷って、シナプスレベルでつながったパールのピアスを手放すことなく、迷っているふりをして、観念して、購入を宣言した。宣言は、長い時間をひとりの接客に費やしてくれたデザイナーと、なによりわたしをホッとさせた。
クレジットカードを出し、「一括で」と人差し指を立てる。安心と緊張のバランスがおかしくてで、人差し指が妙にフルフルと振動している。ように感じた。実際は、震えてなかったかも。
手を離れたパールのピアスが、黒い箱に丁寧に収められているのを見て、おへその下あたりが、モゴモゴした。「ありがとうございます」と手渡された、小さな紙袋。軽くて、重たくて、ほとんど抱えるみたいに持つしかなかった。
震えたくなるほど、うれしかった。心から、買い物ができたと思う。
いままで生きてきたなかで、いちばん、わたしがわたしを幸福にした瞬間。
そして、わたしは自分の意思をもって得たものでしか、幸福になれないんじゃないかという、かなしい落胆で、ジクジクとおへその上、胃のあたりが痛んだ。謎でばかげているかもしれないが、ほんとうに自分にがっかりしていたのだ。
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先日、27歳になった。
今年に入ってから、「まりさん、いくつだったっけ?」と聞かれて「今年、27になります」と答えるたびに漠然と不安がる、を繰り返した。いまだに、「27歳です」と口にした直後に、27歳だなんて、と驚き、お腹の下あたりがモゴモゴする。きゅうに、居心地が悪くなるのだ。
誕生日が近くなるほど、まわりが一足早くお祝いの言葉をかけてくれるほど、グングン高めようとしてくれるテンションと反比例に、わたしの気持ちを沈ませた。
人生の節目、みたいなものを漠然と設定することがないだろうか。
わたしは、なんでか、"28歳”という年齢が、節目になるんじゃないかと予感している。いろんなことが、カチッと定まるのが28歳だ、という思い込みを信じている。
だから、27歳が憂鬱だった。
あまりにも、なにも変わっていない。1年後に思い描く、決まるはずの方向もわからず、ただひたすらに右往左往してばかりだ。
誕生日前日に、日付が変わった瞬間、「あと24時間しかない!」と愕然としてベッドでうずくまって10分泣いた。その日の仕事が、接客業だったので、過剰なほどに明るく振舞い、異常なほどに誕生日を忘れた。
そしたら、ほんとにすっぽり、忘れていた。
仕事は23時を過ぎてもダラダラと続き、ようやく帰ろう、ということになったとき、ぼんやりと一緒に仕事を終えた同僚が出てくるのを待って、待ってても、出てこなくて、おや、と思っていたら、突然消したはずの看板に電気がついて、チカチカするほど眩しい中で、明るさと低さを伴った声に奇襲を受けた。
「「お誕生日、おめでとう!」」
ほんとうに、間抜けだったと思う。ようやく明るさに慣れて、同い年のおんなの子と、一つ年下のおとこの子が、してやったりと笑っているのを捉えた。
目を思いっきり開けて、唇をすこし噛む。そうしないと、泣いてしまいそうだった。おへその下辺りが、モゴモゴしている。
右耳につけていたパールのピアスを手に入れたときと一緒だ。
「ありがとう」と早口で答えた。そうじゃないと、なにか余計なことも言ってしまいそうで、なによりやっぱり泣いてしまいそうで、それは違うと自分に言い聞かせるのに必死だった。
うれしかった。生まれて初めて、日付が変わった瞬間に、ひとに祝われてしまった。もうひと押し、と言わんばかりに、プレゼントまで用意されていた。おんなの子から、銀色の中に星を詰め込んだクッキー缶。おとこの子から、作者のプロフィール写真がロックすぎるキューバ文学の本。それぞれから手渡されて、おへその下のモゴモゴが、せり上がってきて口の中をカラカラにする。うれしさ以上に感じ入っていることを、ふたりに冷静に伝えられないなんて。サプライズが苦手な自分を呪い殺してしまいたかったし、褒め称えてあげたかった。
さんざん、陽気にからかわれたあと、満足したふたりとは別れた。タタンタン、といつもより電車が静かに走ってる。わたしはひとりになっても、うまく、お祝いとプレゼントをもらったことが消化できずにいた。
クッキー缶と本を、抱えるみたいに持っている。
パールのピアスのときとおんなじに。
そして、わたしはこんなに幸福にしてもらえるものを、誰かから与えられたりして、それはたぶん、ずっと昔から、小さなわたしが嬉々として受け取れていたはずのことだったな。年頃をすぎると、どうも勘ぐってしまって、どうしようもない。
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自分で自分に与えるものは、すごくわたしをうれしくする。それからもちろん、だれかがわたしのために選んで与えてくれたものも、ものすごく、わたしを幸せにしてくれる。
と同時に、どうしても、悲しくなるぐらい、居心地が悪さがついてくる。どっちかしかない気がしてしまう、どうしても。
母の言葉はいつだって、ちょっとだけ正しいのだ。人に与えてもらうことでしか受け取れない“幸福”は、間違いなく存在するし、喉から手が出るほど欲しい。くれる相手がいないと、絶望的な気持ちになることもあるぐらいに。
でも、だれかに幸せにしてもらうだけが、たったひとつの幸福、じゃないと思う。自分で自分に与えてもいいし、きっと自分がだれかに与えても、幸福は感じられる。
パールのピアスも、お祝いの言葉も、星のクッキーも、異国の文学も、どれも同じだけ大切で、ひとつだけを幸福の正解として選ばなくても、大丈夫。
いくつになっても、無意識に、大事にふところに抱えて持ち帰って、部屋に宝の山を築いていく。
最後まで読んでくださりありがとうございました。スキです。