counterintelligence ;R2-5-11,月曜日
3日間の休養日を経て、久しぶりに衣服を整えて外出した。いつもショボクレタ格好だと、益々ボケが進行する。
昼に、1週間ぶり知人との会食となった。話題は、「いつまで続くか?のコロナ渦と、その対策。」 食後の休み。私は、あれこれ考えてみた;
多すぎる得たいの知れない情報、そして、見えない敵、ウィルスといふ「不思議な物体」へはどう向き合ふべきか? これは有事、かつ戦争と考えてみるとどうだろうか。
飛鳥・奈良を経て、平安遷都があった。400年の「平安」は、武家社会の台頭で幕を閉じる。つまり、世の中は始まりがあって、必ず終末がある。平安貴族には、時代を読む戦略思想は乏しかっただろう。 今の時代にも多くの貴族がいる。こうした特権階級にありがちなのが、防諜、謀略思想の欠如かもしれない。
”counterintelligence” とは、対諜報といい、「外国の敵意ある情報活動を無効にするための防諜活動」。敵国の破壊および社会環境・活動全体の休業怠業をふくむ謀略活動にたいし、その個人はもとより、地域社会全般を外的から防御し、阻止、撲滅に向けた活動といっていいだろう。
いつだったか、 いわゆる「スパイ防止法」成立に対し、奇妙なギロンが展開されていた。
2013年、第2次安倍政権下で「特定秘密保護法」が可決されている。
メディアのわかりにくい報道を総合しても、ギロンの骨子が最初からズレているので、結局は強行採決になったと記憶している.当時、「いろいろな問題点が指摘され、、、」と言葉を濁していたが、ニホンとは、益々不思議な国だとの再認識に役立つことにしかならなかった。
国家の安全保障を脅かすスパイを取り締まる法律。
これはニホン以外の国では普通、一般的な原理原則といわれている。
何か起きてから動くのではなく、「未然に取り締まる」ことを一般国民は望んでいると考えられる。
しかし、いわゆる戦前のナントカ法を盾に、「断固反対」ベースの主張を繰り返すグループもある。感情論だからギロンになるはずがない。
今回の内閣のコロナ対策は、悲しいくらいに愚劣であった。エリート集団を自認する官僚・政治家の「大局観」を期待するのは、そもそも間違っていた。
「放置国家」? あれちょっとヘン。「報知?」、いや「法治国家」をタテマエとしてきたからか、台湾やK国のような素早い対応ができなかった。
これは、組織、システムの問題であって、現場に無知なオエライサンを糾弾するつもりなどない。
ただ、単純に考えると、「強権」を発動できない「茹でガエル国家」、そのものを実に見事に反映していると感じた。
”intelligence” とはWikiによると、
「知能・知性や重要な事項に属する情報のこと。諜報のことを表すこともある。 認知科学・心理学的な意味におけるインテリジェンスは、知能やそれの働き、あるいは知能が働く上で利用する情報群を内包した概念であるが、物を考える能力があるからといって、或いは情報が集積されているからといって、それがインテリジェンスの概念に相当する訳ではなく、その双方が揃って正しく機能することがインテリジェンスであると解される。」
対諜報、 ”counterintelligence” といふ言葉に戻る。
アナログ、ハラグロたる私にはわからないけれど、好むと好まざるとに関わらず、IT社会になって久しい。特にIT後進国の我が国では、”intelligence” が忘れ去られている。
慰安フレミングの古典的スパイは、既に過去のこと。今では、サイバー・アタックは、ガキでも知っている上等手段。そして、細菌とはまるで異なる奇妙な物質・ウィルス。その中でも、特化した(させた??)モノが世界中に大混乱を起こし、ようやく最初のウェーブが治まりつつある。
いずれ、この混乱は治まるだろう。 そして、 ボケかけたわたしみたいに忘れ去られるだろうが、いくらオエライサンを非難しても何も生み出さない。ただ、インテリジェンスの意味を、再確認する、それだけは意味があるだろう。