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砂漠に置いてきた。

半年ぶりにハンドルを握ったら、左ハンドルの外車。

ブレーキペダルは、数年ぶりに外に引っ張られた引きこもりみたいに過敏。(僕の幼馴染がそうだった)

これでも10年くらい運転してきたのだ、半年のブランクがなんだ、ロサンゼルスでリハビリもしゃれてていいものじゃないか。

Anaheimにある、まるで車と仕事と顧客に興味のなさそうな、黒人店員からキーを預かって20分以内には

僕が走らせている車は時速『150キロ』で、6車線にわたる無慈悲なハイウェイで踊らされていた。

『ハイウェイは周りの速度に合わせれば平気だよ』

150キロで走る僕の車を追い越していく彼らは、おそらくヘルメットをかぶっていて、管制塔とも密に連絡を取りながら、離陸体勢でも整えているのだろう、このハイウェイという長い滑走路なら、容易に飛べるだろう。


あいにく僕は、陸上からある目的地へと向かっていたから、レンタカー屋のオプションから『翼』を選択しなかった。

生きてたどり着けるだろうか、あぁ、煙草でも吸いたい。
今なら一本200ドル払ってもいいな。

早く『砂漠』へ行きたい。

California州Anaheimから車で3時間。

僕達は、目的地にたどり着いた。

『サルベーションマウンテン』

ある日、突如として己のなかに眠る宗教心を、喚起され、砂漠の丘にペイントで、神を湛える山を作った。

制作者の名前は、レナード・ナイト
彼は30年という歳月を費やして、信仰心を表すモニュメントを築いた。

残念なことが二つある。
第一に地元住人であった彼はサルベーションマウンテンの近くに住んでいたそうだが、2014年から、永眠していて話を聞けそうもなかった。

そして第二に僕は英語が話せない。

まさしく、神のイタズラというやつだろう。

どうして僕の目的地が『サルベーションマウンテン』なのかというと、それは婚約者が定めたから。
婚約者が『サルベーションマウンテン』に来たがった理由は、よく雑誌などの人生で一度は見てみたい絶景に組み込まれていることが多いからだそうだ。

僕は自分の人生経験に、砂漠を追加したかったし、それはAmazonプライムで2日以内に配達してくれるわけでもないから、
時速150キロの速度で3時間かけてここへ来たのだ。


いざ、砂漠の地に降り立つと、僕のもともと皆無な神への信仰心は砂漠の風に巻き上げられて、宙を舞うハゲタカの餌にでもなった。

それよりも、砂漠特有の乾燥した命の匂いが、最果てから僕が経っている地点までの間を連続的な風と終わりなく戯れていて、見渡す限りの砂埃と、遠くの霞んだ山々が、自然への畏怖を思い出させた。

一瞬何も話す気が湧かなかった。
その場に存在する自己の気配でさえ、雄大で空漠な自然の全てを前にして、同化していき、ある種の深淵に1つの宇宙とその灯の息吹を感じさせてくれた。

そう、何も話せない。
人は真の感動を得るとき、まずは言葉から分解されていくのだ。

婚約者が車から降りてきた。

「あっつーーーーー、めっちゃキレイじゃん、サルベーションマウンテン、ねぇ写真撮って」

「あ、はい」

僕の瞑想と世界のつながりは、即座に断ち切られた。
未練はたらたらで、何かと僕は一人で砂漠を感じようとしたが

「後ろ姿も写真撮って、いっぱい撮って」

という言葉でかきけされた。


人は入れ替わりで3組くらいしかこなかった。
とても人の気配がない観光スポット。

設営されたトイレの前には、色の禿げた赤い車が止まっており、炎天下のなか、機械を使って人の糞尿を空にしているところだった。

空いた車の窓から、ロックミュージックが鳴っていたけれど、
砂漠の風と砂の前には、なぜだか、とても空しく、遠くに、その音が聞こえた気がした。

僕らは一通り、見て回った。
写真だって沢山取ったし、観光に来たレズビアンの写真だって頼まれて撮った。

いつか、人が焼けてしまいそうな乾いた太陽の下で、その二人は、舌をだして、幸福そうに笑っていた。


僕は無事にたどり着けてよかったと思いつつ、またあんな無法地帯のハイウェイを150キロの速度で帰ると思うと割と怖かったし、今度ばかりは無事ではいられないかもしれない、この土産話をする機会は永久に葬られるのではないかと、冷や冷やしていたが、婚約者はそんな恐怖とは無縁といった表情で、はしゃいでいた。

300枚くらい写真を撮っただろう。
よき思い出だ。

帰りも、砂漠のゴーストタウンに足を踏み入れてしまったり、砂漠の町でガソリンを入れるのに苦労したり、かなりのドラマがあったが、ここでは割愛。

本題はここから、

砂漠から帰ってきて、
1週間くらいだろうか、

僕は、ずっとぼんやりしている。

砂漠に行く前まで、こっちでお気に入りだった景色も霞んで心が動かなくなったし、車の音がノイズに聞こえてきて、早く、風と砂の音だけがたち籠る世界へ帰らなければという気持ちになる。

自己の核となる一つを、とんでもない所へ置いてきてしまったという感覚。

日本から飛び出て、カナダにきて、数年間海外暮らしになる可能性もあって、そんでもってカリフォルニアにいって、砂漠へ行った。

日本から出ることもなく人生を終えるのかと思っていたから、心がこの急展開についてこれていないのかもしれない。

遊園地で、乗るはずもなかった幾つものジェットコースターに連続で乗って、酔って伏せているみたいなものだろうか。


僕は全てを砂漠に置いてきた。


というのは、本当は冗談。
僕の今の状態は確かによくないけれど。

それには別な理由があって、
今婚約者は日本に帰っている。
何か不幸があったというよりは、歯医者に用事がある。
それで家族と過ごし、おいしいものを食べ、日本をそこそこ満喫している。

僕はというものの、こんなカナダに一人にされ、妙な孤独感に頭がやられているだけ。

思えば、長い事同棲してきたし、多分三日以上離れたことはない。
だから、退屈でしようがない。

僕には家族がいないし、どんなに一人でも嫌な感情で孤独を捉えたことはなかった。
世間の皆様がどうして、そんなに孤独を恐れるのかとも思った。
けれども、今は少しだけ違う。

トニースタークの気持ちがわかった。

毎日、朝の9時に必ずチョコレートを一枚食べ続けて何年も過ごせば、ある日うっかりチョコレートを切らした朝はわざわざ買いに行ってまで食べるだろう。

いつも僕よりも数時間遅く寝ている人間がいないというのは、
これだけ、僕の日常を正常に作動させないものなのだ。


























敬虔な女性が捧ぐ1人の祈り

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