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ミートローフを食べさせておくれよぉ

ミー・ト・ロー・フ。
ゆっくりと発音すると、少し舌が強張るような気もする、名前だけではどういう食べ物なのか、想像がつきにくい料理。

人が月に見る映画の平均の数は、わからないけれど、僕は数か月に一本映画を見るか見ないかで、映画館には行かずに、人生に対して潤いをもたらさないサブスクを、思い出したかのように利用してみる。

大人になって、時間が経つごとに、時間が有限であることに小突かれて、僕は映画に価値を見出せなくなった。
そんなことよりも、目を閉じて体を休ませていたいし、そんなことよりももっと能動的な行動をしていたくなる。
例えば絵を描くとか、自分の内面に耳を傾けるとか、体を動かして未来へ健康を投資したりとか。
そうすると、じっと座って映画を見ている時間というのが、なんだか体中痒くなってしまう感覚になるのだ。

きっと映画を見ているときだけ活発になる虫がいて、徐々に僕の体を食べてしまっているのだと思う。だから毎日のように、朝の3杯の珈琲がないことには人生を始められないと、本気で思っている人たちみたいな感覚で何本も映画を見てしまうと、やがて、僕は食べ尽くされてしまう。

それでもたまには、映画を見たくなる。
大抵、ストレスが溜まっていて、一歩でも動いたら体がバラバラになってしまいそうなとき、そういうときは頭からころっと転がっていってしまうのだけれど、そんなときは、「あ、映画でも見よう」と自然な気持ちが沸き起こる。
ひとの人生を傍観して、自分をより遠くに置いておきたくなる瞬間というのか。
みんなは、そういうとき、どうしているんだろう?

ーーマギー、今日は夕飯を食べて来なさいな、貴方が好きなミートローフよ

ーーアイツは女のケツよりもまだ、ミートローフを追いかけているのさ

小さなころ、見た映画の名前は憶えていないけれど、洋画のワンシーンには冗談みたいにミートローフが出てきた。
特においしそうには見えない、魅力のない色味をしていて、ソースもレトルトみたいな鈍い光、まるで白い円のお皿までもが、保存食の容器のなかからそのまま完成した料理として出てきたような、簡素な料理。

ストライプのテーブルクロス、木製の焦げたような深い椅子。無駄に大きなシステムキッチン、珈琲の湯気、窓の外は、きっとクリスマスが近くて、みんな暖かそうな古臭いセーターの袖に手を通して、神様に祈って、食事を始める。ナイフとフォーク。

ーーで、トミー大学はどんな感じなんだ?
銀行勤めの父親。
テーブルのナプキンで口の端を拭ったトミーが、ワインを飲みながらうなずく。
ーーん、いい感じだよ、こないだ宇宙物理の教授にレポートを評価してもらったし、来年はライターズ大会の選抜に選ばれそうなんだ。

ーーフットボールって危なくないのかしら

ーー平気だよ、母さん

僕が見る映画には、どうしてか、必ずミートローフが食卓に並ぶ。
ミートローフは19世紀後半あたりからアメリカの料理書に出現したらしい。
1980年の映画には頻繁に出てくるから、もしかしたら、一昔前のアメリカの家庭料理なのかもしれない。
お隣さんのカナダでは、ミートローフなんてきかない。
よくホームステイをして留学している人はステイ先の料理の話をしてくれて、1日2食しかないのに、スープと果物だけで全く満たされないとか、逆に夢に出るほどのフライドポテトが出されるとか、その家の宗教に則った料理しか出てこない、など、さまざまな不満を聞くけれど、誰もミートローフを食べたとは言わない。
もしかして、あまりにも美味しい食べ物で、教えてしまうのももったいないからみんな僕に教えてくれないだけなのか。
もし、そうだとしたら、そんなに美味しい食べ物が、この世界にあるということに僕は驚く、そんなの誰にも教えたくない子供の頃の秘密みたいに、深く、碧く、美しいとさえ、悲しいとさえ、僕は思う。

今日、婚約者とシティマーケットという、わりとしっかりと清潔感のある箱の大きなスーパーに行ってきた。
ウォルマートやコストコは雰囲気がいつも忙しなく、時間を探すようにみんながこぞって争うように買い物をしていくから、いつもダメージを負った商品や果物が床に転がっていたり、箱に穴が開いていたりと、生活の賑やかさやゆとりのなさに見ていてくたびれてしまう

シティマーケットは、なんだが時間の流れがゆったりと上品に過ぎていく。
スーパーのなかでも物の値段が高い方だから、あまり人が寄らないというのも大きなポイントなのかもしれない。


僕は婚約者とオリーブマーケットという、誰が食べるのかもわからない、さまざまな種類のオリーブをぼんやり眺めているときに、ふと『ミー・ト・ロー・フ』が頭に浮かんだ。

いったい誰に需要があるんだ

めぼしい場所を探してみようと、婚約者の手を引いて探そうとすると彼女は「店員さんに聞いた方が早い」と言った。
「仮にここがドイツで、ドイツ語しか通じないとしても、私は、店員さんに聞いて早く見つけたい」と。

僕は首をよこにふった。
どうして、そんなに、もったいないことをするのだろう、と思った。
欲しいものが決まっているおもちゃ屋でそれだけを買って帰る子供が世界中何人いるだろう、あるいは多いかもしれない、ほとんどの子供が他のものには目もくれないかもしれない。

けれども、僕は、おもちゃ屋さんを歩いているという気持ちが、なによりも贅沢だとおもうから、すこしぐらい、ほしいものが手に入る時間がさきに流れていったとしても、いろんなキラキラしたものをみつめながら進みたい。

動物園でもそう。みんなカバを見に行くわけではないけれど、何かを見に行く途中でカバがいたら足を止める。寝ているビーバーの横を通ったらためしにリンゴをぶつけてみるかもしれない。そういう探検が、心を豊かにするときだってある。
今日、僕はそんな日だった。

婚約者を振り回して、チーズコーナーや、肉コーナー、総菜もどきコーナーを歩いた。
『ミー・ト・ロー・フ』はどこにもなかった。

諦めきれなかった僕は、ウーバーイーツのアプリから『ミー・ト・ロー・フ』を探して「アメリカンレストラン」にようやくそれを見つけた。

……$24

出せない金額ではないけれど、夕飯のようなものは、つい1時間まえに食べてしまった。
それに、得体の知れない料理に挑戦するにしては、リスクの高い金額ではある。チップを含めたら$30はいくだろう。日本円にして3000円。

婚約者は首を横に振った。

『ミー・ト・ロー・フ』が中世の船に乗って地中海の島々のどこかへ流れていってしまうような、気の遠くなるような気がしながら、僕はアプリケーションを落とした。
誰かがどこかで果物を落とした音がした。

僕はどうして、いつも『ミー・ト・ロー・フ』が食べられないのだろう。
あぁ、『ミー・ト・ロー・フ』










カナダにしかないカフェのコーヒー

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