エッセイ:バンクーバーのネオンをくぐって咳をした。
いつからか、ぜんそくが僕のずっと後ろを走っている。
小さい頃は、走りたい僕の前で、わざわざ僕に向き直って後ろ向きに走って小馬鹿にしてきたのに。
僕はバンクーバーに来てすぐに、人生で一度目のコロナになり、そのあとも一年間で計4回は風邪をひいている。もしくは50万回くらい。
日本で生活していたときは10年くらい風邪なんて引いていなかったのにおかしいな。
海外のチョコレートやお菓子はびっくりするくらい甘い。こんなの2個も3個も食べたら明日には、僕の体に蟻が集ってどこかに運び込まれてしまうのではないか、っていちいち心配しなくてはいけないくらい甘い。
でも半年も経たないうちに、そのチョコレートやお菓子の甘さが程度が良くなった。
風邪も甘すぎるチョコレートやお菓子と同じだと、僕は思った。
びっくりして体が対応できないのだ。
つまり僕は、バンクーバーの菌にとってお客様ってことだ。
丁重に扱ってほしいものだよ。
最近僕はバンクーバーにきてから50万1回目の風邪をひいた。
二度啜ったスイカの皮みたいな風邪で僕も驚いた。
喉の奥が160個に分かれてしまうのではないか、と焦るくらい、その近くが痛かった。
次の瞬間には、肘からじんと染みこむような熱に浮かされるのかと思いきや、音沙汰なし。
それって84歳で挑戦するバンジージャンプみたいって、思うんだ。
つまり、冷めた珈琲にシュガーブロックを落とすイタズラ染みているってことなのだけれど、なかなか理解は得られなそうな予感。
喉の痛みが引いたら、今度は咳が出るようになった。
ここでようやく喘息の話に繋がるのだけれど、僕は10年間まともに咳をしたことがなかった人間だったから、どのように咳を発散したものか、イマイチ感覚が鈍っていた。
例えば、君が「明日から幼稚園に通ってもらう」と言われて本当に幼稚園に通うことになり、園内で他の子どもたちと昼寝することになったとするだろう?
すると周囲の子はすっかりと寝てしまうんだ。たまに寝て起きたあとのおやつがバナナかどうか気になって眠れない子もいるだろうけれど4万人中4万人が寝ることになる。
君はその8万人のなかで、ねむれないんだ。なんたって成人してから何年もたっているし、あるいは10数年の時を刻んでいるかもしれない。
自分よりも年の若い独身の女性が先生をしていて、先生が君の近くにいって
「寝なきゃダメよ」と頭を撫でてくれる。
君はとっくに幼稚園特有の昼寝を忘れてしまっているんだな。
僕も、幼稚園の昼寝みたいに、咳をどうするのか、うっかりと忘れてしまったのだ。
それでも数日もするうちに、咳がうまくなった、
君もいつか親指を咥えてすっかり眠れるようになったように。
あくる日も咳が止まらない。体の他の部分に不具合はない。
ただ決まって夜になると、咳がでる。
朝はでない。昼もでない。
小さい頃はいつでも喘息に襲われていたから、少しだけ大人になったのかな。
夜、発作が起きると大変で咳が止まらなくなったり息がしにくくなるから直ぐに使えるように必ず吸入器を枕元においていた。
どうして子供は大切なものを枕元に置いておくのだろう?
遊び終わったおもちゃや昨日書いた誰かの似顔絵とか、なんだったらサンタクロースがプレゼントを入れられるようにって靴下まで、枕元に置いてしまうのだから、参ってしまう。
発作がはじまると、僕は深海みたいな夜のなか一人でメッセージを発した。
味方の飛行機が全機撃ち落された通信兵のモールス信号みたいに。
誰にも届かないってわかるといよいよ、吸入器を使って苦しい所に神様を吸い込んで悪さをしている悪魔みたいな何かを消滅してもらう。
あるときに、喘息が原因で入院した。
そのときにお気に入りだった、小さな変形するロボットを一緒に持っていった。
部屋は相部屋で、小児科だったから退屈そうな子供が、退屈そうに各々が持ち寄ったおもちゃで遊んでいるフリをしていた。
僕の隣のベッドの玉ねぎから生まれたみたいな子供が、遜色なしに、僕のおもちゃの10倍くらい大きな戦車の変形するロボットで遊んでいるときの気持ちったら、なかったな。
僕は自分で気に入っているつもりだったおもちゃがどれだけちゃっちかったかを知ってしまったんだ。
おもちゃをすぐに自分の布団に隠した。
すぐに隠して存在が消えてしまうくらい小さいおもちゃだった。
僕はお見舞いに来てくれた親に言った。
「僕もあのおもちゃがほしいな、こんなガチャガチャの小さいのじゃなくて、あんなおもちゃがあれば、僕も喘息が良くなる気がするんだけれど、どうかな?」
親が僕になんて言ったのかはしらない。もしかしたら口なんてなかったのかもしれない。
覚えているのは、結局僕は小さなおもちゃを隠したまま退院したってこと。
きっと、僕に良くなってほしくなかったんだろうな。
育てる気もなかった畑の雑草みたいな目で僕を見ていた。
けれども僕は植物ではなくて、一応法律という十二単みたいな分厚くて不便な服に身を包んでいたから、除草剤をまいたり、日曜日の昼を潰して草むしりに勤しんで、すっきりさっぱりとは行かないのだ。
退院した後も、僕はずっと咳をしていた。
雪を一度も見たことがない人の人口を遥かに超えるくらいの咳の量だ。
もしも僕が咳をするたびに、唾が金になるのだとしたら、金はとっくに無価値なものになっていたと思う。
それってガムを噛みながら泳いでいるチョウチンアンコウみたいだなって、たまに考えるんだ。
喘息の夜はわりと心細かった。ベッドで一人蹲って吸入器をプッシュ。
しばらくして、少しは良くなったかと思っても、まだ『ぜーぜー』という。
咳で体力を消耗。このまま体中から力が抜けて、きっと死んでしまうのだって、毎晩考えていた。
僕は当時、まだ小学低学年だった。それでも毎日死んでしまうのだ、という感覚に向き合って沈んでいたのだから、我ながら大した子供だったと思う。
でも、本当に呆れるくらい咳が止まらなかった。
病院の先生からは走ってはいけないと強く言われた。
まるで、私は世界で一番あなたのことを考えている医者ですって顔をしていた。
今は風邪で呆れるくらい咳がとまらない。
それとも夜になると、子供のころの心細かった僕が、大人になった今の僕の喉ぼとけのスペースを使って泣いているのかもしれない。
あと2週間以内に、咳は収まるだろう。
子供の頃の僕も、僕の喉ぼとけのスペースで横になって眠るだろう。
そこには、病院のベッドでほしがった隣の子と同じおもちゃがあるに決まっているんだ。
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