変化に身を任せながら。
1日1,000文字くらいの緩いnoteをマガジンで書いていけたらいいなと思っていますが、気の利いたタイトルが思いつかず尻込みしています。どなたか私のヒップをしばいていただける方はいらっしゃいませんでしょうか。あ、”尻込みしないための箱”なんていかがでしょうか。詰まるところ、自分のケツを叩くのは自分しかいないという結論をひねり出そうと思います。タイトルはまた考えることにして。
思いがけず下世話な切り出しになってしまいましたが、先週末山に登っていて気づいたことがあったので、今日もまた彫り彫りしていきたいと思います。
それは、自分が撮りたいものが変化しているな。ということです。そうです。写真の話は聞きたくないという方もいらっしゃると存じますが、これは読み物ですのでそっと閉じるかアイでお付き合いくださいませ。
学生の頃から山に登りはじめ、佇まいや風格に惹かれ山そのものを撮っていました。山の全容と言いますか。緩やかに続く稜線、険しくごつごつとした山肌、緑や暖色に色づく木々の雰囲気、そこに在る動植物の自然発生的なデザインなど、自分が美しいと感じる光景が山のようにあって、今も山に居るだけで心が軽やかに舞っています。
山仕事をはじめてまだまだ日が浅い身ではありますが、都会で生活をする方々に較べると山にいる日数は多い方ではないかとおもいます。山籠りをしながら仕事をしている人もいますので、その方々に較べればまだまだ足りないと思っているのですが。
とはいえ、毎日山に住み生活をしているわけでもなく、自宅は田園地帯の平野部にあり都会へのアクセスもそれほど悪くありません。クルマを30分走らせると空も飛べるようなところに住んでいます。つまるところ、田舎暮らしのいいところだけを掻い摘んだような生活をしています。冒頭の下世話な部分に引っ張られているような気がしているのですが。
先週末に登った山は、大分県にある九重連山でした。山頂へ登るわけではなく、のらりくらり山歩きをしながら、ふたりの友人と会話を弾ませながら写真を撮ったりして、歩いていました。
そのときに広大な草原や山々にカメラを向けても、あれ、これ、いや、いったい、はて、自分が撮りたいものなのか?とごく個人的な感情が湧かないことに気がつきました。今までは無かった感情です。どうして撮ろうと思ったのか。が真っ先に思い浮かんで来なかったんです。
特にこの時は秋晴れでしたので、まっすぐなブルーに山々がはえていてとても綺麗でした。で、写真を撮ろうとするけれど、撮れない。いやいやどうして、そんな。。。率直にいいますと、あ、これは他の人も撮っているな。と思ってしまったのです。
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