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霧の中、山を歩いて撮った写真。


この時に撮ったフィルム写真が現像所から返ってきた。と言っても、客観で考えて、みる人からすればそんなことはどうでも良いようにおもう。写真になってデータを溜め込んでおいても仕方ないので世に放つ。中途半端を全開にして、出し続けてたら良いところに収束するはずだ。しらんけど。

この日は、家族を置いてひとりで山にきた。場所は、熊本県阿蘇市にある一ノ峯という山だ。子と登るのにも適した歩きやすい山だ。登り始めから降りるまで、ひたすらに霧の中を歩いた。何度でもいうけど、霧の中を歩くのが最も山に居る気がして心地よい。

野焼きをされてもなお、残っていると考えると逞しいなとおもう。

時空の狭間をみつけた。というような感じで、意味はあとから付け足すこともできる。それにしても割れている。両手でぐーっと割いて開いて入り込んでみたい。

そこに居るそれと化した何かがじわりじわりと移動している。

一向に霧が散っていかないどころか、ずっとそこに立ち止まっている。なんだ、自分の心を表しているようじゃないか。と今の自分は思った。見るときの心情によって捉え方も変わっていく。

境界のはっきりしない曖昧なそれ。稜線が美しい。これを、稜線は美しい。と書くと、稜線以外を否定したようにも捉えられる。言葉は難しいがシンプルでおもしろい。

多少散った霧の中、奥の方が徐々にみえてくる。吹き出物がポロッととれたように地が顕になっているところもある。これはまだ甘いなと思った写真。

頂のみえない山は荘厳で美しい。と草原から思った。いらんことも言いたくなる。

下山しはじめると、次第に空が開けてきて霧で柔らかくなった光が山をハッキリさせてくる。太陽が登り始めるとともにその熱によって霧も薄れていく。

この日撮った写真の中でいちばん気に入った写真。海外のようなとはおもわない。映画のようともおもわない。国の数は国連加盟国だけでも193カ国あるらしいし、映画も先人とこれからの人の創造力によって無限に産まれている。

そこに在るものの中で自分が1番魅力的だと感じた側面を写したいなぁ。

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松田佳之
山のため、子のため、写真のために使わせていただきます。いつかお会いできれば嬉しいです。