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何も言っていない言葉を乱れ打ち:眺める時間

無鉄砲に始めたものも続けていると、いいことがあると言えばあるし、ないと言えばない。そのどちらもが正解で不正解。言葉というものは不思議だなぁ。と何か言っているようで何も言っていない言葉を書いてみる遊びを真面目にやってみたり、やらなかったり。

この時点でせっかちな方は、すっ飛ばして写真をみるだろうし、落ち着いている人はそっと別の誰かの方へ流れていくかもしれない。

さて、訳のわからない言葉を書く遊びをしながら、わたしの眺める時間の始まり。

昨日と今日、現像した写真の中から気に入った写真を載せています。

寒くなったというのに、扇風機が出されていた。
寒くなったから、扇風機がそとへ出されていた。
また来年、使うときが来るからそとへ出されていた。
もう使わなくなったから、そとへ出されていた。
ひとりでに扇風機がそとへでて、日光浴をしていた。

許容量を超えた塵の量。
中にパーカーを着た学ランを着た人は、30代ぐらいの俳優が演じている。
誰もいない倉庫の中に向かって挨拶をしている。

寒さを感じる光がいいなと思って撮った。
文字を入れるなら、なんて書くかな。とまたも、何も言っていない言葉を乱れ打ち。無意味なことをするのって、なかなかどうして心地がいい。

妻の実家から送られてきたみかんを食べる。みかん農家ではない。つまりこれは、いずれにしても、愛。

カットモデルを撮影しました。
とツイートしてみたけれど、誰も突っ込んじゃくれない。ふぇっ。

アイスクリームを盾に、間合いを測る両者のせめぎあい。

山あいにある道の駅にて。どんな所以があってなのか、マグロの頭の煮付けがあった。山地にも鮮度のいいサカナが流通するわが国はいいな。こりゃ煮付けじゃが。うどんや他のものに目もやらず注文して正解だった。大変に満足。アラの煮付けはどこでたべても美味い。海に行きたくなった。

えがお、まがお、なきがお、そのほかのかお、子の表情はどんなものでも残しておきたいと思う。なんで泣いていたのか、忘れたけど、なんだったかな。百面相のように移り変わる表情がおもしろくて仕方ない。子育てをおもしろがっているが、決して面白がってはない。親として、子をバカにしない親で在りたい。思い出した、縁石につまづいて手から転けたときだ。転び方がうまいとふたりで褒めた。

妻が撮った写真、娘を抱きながら、目測でピントを合わせて撮っている。林業をしていてよかったなと思うことは、目測が養われることもそのひとつだと思う。と言った手前、写っていなかったらそっとこの文章を書き換えておこうと思う。

あおいマグネットは瞳を表しているそうだ。空に浮かぶ雲に誰しもが名前をつけてきたように、子も自分が書いた絵に名前をつけるようになってきた。ちなみにこれはマンボウといっていた。もう、それにしか見えない親バカ全開のわたし。

果実というものは、むかないと食べられないものばかりだけど、地面に落ちてなお食べられるように発明されたのは、人類にとって、動物にとってこれほど有難いものはないだろう。夕方の公園、ベンチに座って食べたみかん、美味しかった。

この日は、晴れているのに雨が降っていた不思議な1日だった。山の中では雹が降ってきたのでウヒョーと言いながら山をおりた。同僚は、白けた顔をこちらに向けていた。いずれにせよ、見上げれば美しい空がこの世界には広がっている。下を向けば下にも、かならず美しいものがある。

この日は家から出ずに過ごした。出不精の反対語は出可精なのだろうか、調べる気にもならないが、ずっと出てばっかりだったからいい光が入ってくることにようやく気づいた。

光や水が交差するところは、撮りたくなる。

なんだったかな、ままごとをしていた。

これは焼きそば。誰がなんと言おうと、息子との間では焼きそばなんである。細麺でなかなかに食べ応えがありそう。

焼きそばの上にトッピングされている何か。忘れたので想像でいうと、たこ焼き。

道端に咲く雑草の美しきかな。まだ11月の末なのに、ある儀式が思い浮かぶ。

ツリーのワークショップがあっていたので迷うことなくワークした。子のプレゼントはすでに聴取済みである。

こちらはポストカードの封を開封するの儀。

そして作ってくれた人と写真を撮るの儀。

想像とイマジネーションはなんとかかんとか。
言いたいことがあるような、ないような、明日もおもしろがって生きていきましょう。

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眺める時間

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