魁罡3

魁罡四種盛りに入っている戊戌が日柱にある私について振り返っていると、小学校時の友人関係を思いだした。
戊戌がよく言われているように確かに誰とでも仲良くできると、所見の欄に書かれたりされていた。
来るもの拒まずさるもの追わず。近寄ってくる人には誰でも慈しみ深さが生じてくる。近くの席の人とか偶然的な場合でも。それは人間愛に基づいている。人間のみならず動物もしかり。生き物全て可愛いと今までもこれからも思っているかもしれない。
なので親友になってくださいと言われてしまった事を受け入れてその日から親友になってしまってから親友としての務めを果たさなければいけなくなって、彼女の思う親友としての私を行う必要が出てきてしまったために、思いがけず苦労する日々が始まってしまったことがあった。小学校時クラスメイト同士の事だ。
今思えば中国系由来のの苗字だった。至って大人しい活発でもない私がなぜ彼女に気に入られたのか不思議に思っていた。あとから分かったが複雑な家庭環境だった。愛ある私を必要と師弟たのかもしれない。
 しかしそれは、いつも彼女の側にいなければならず、目線の先が彼女以外の人を観ていたとき、嫉妬されて、禁止され、目線の自由まで奪われるというとてつもない女子友達に対する束縛を発していて、毎日が彼女の親友としての務めを果たさなければならない毎日に緊張を覚えていた。
なぜ私が突然彼女の親友としての抜擢を受けたのか分からない。彼女は10人くらいのお気に入り女子のグループを率いるリーダーとして君臨していて、まぁまぁ優しく明るいい女子を集めていつも放課後遊んでいた。それに入ってしまって缶蹴りとか、買い物とか、河原へ出かけてチョコを渡すとか、交換日記をするとか、映画に行くとか、していた気がする。
 そんなとき戊戌の私は確かに言われているように誠実だった。一度受け入れた以上は2年くらいは、彼女自ら去っていくまで友達付き合いをしていたとおもう。
 私は部活を始めて忙しくなり彼女は他の不良系グループから、我がままな性格をズバリ指摘されるようになり、性格の改善を迫られるような修羅場に会わされるようになっていたが、素直に反省して、性格が丸くなっていっていたようだった。
ある時みんなの前で手紙ならぬ、感謝状たるものを、書いて持ってきてくれて、グループ女子の前で、ハキハキと読んで手渡してくれた。
 私の親友となってくれていつも一緒にいてくれて感謝します。ありがとう、という内容だった。
いつも手を繋いでいなければならないし友愛なるゆえに、他の友達に対して、目をあわせたり、はなしたり、好意を持ってはいけないし、みはられていて、いつも彼女だけをみていなければならないという、対等というより、主従関係に近い人間関係だった。
 私は誰かから自分のもの扱いをされると強力な束縛と感じ振り払いたくなります。私の親友だから、自由な行動や言動をとってはならない、とか。私の妻だから、電気店の店員にエアコンについて買うために話してはならないとか。それも説明にある通りだ。不自由を感じると理不尽だと思う。
 そう思われても仕方ないような戌のような愛嬌を自然と振りまいてしまっている事に気づいたのは十年以上後だ。戊戌の特性を自覚して誤解のない立ち居振る舞いを致すことは重要だ。
戊戌は確かに誰とでもあいを持って接する事ができるエネルギーを持ってはいるが、努力しないで人気が出ているように見えるので嫉妬されやすかったり、八方美人に思われて、誠意を尽くして努力する態度を持ち続けなければ、山火事のコウモリになってしまう。
今もそれは変わらない。
 当時は友達の親友としての勤めで家庭に訪問したりして母子家庭の事情を知ったり、母親が働いていて一人っ子だということを知ったり、して、愛に飢えているんだなぁと言うことを理解したので、支えになってあげなきゃいけないなぁと想っていた。親友の務めを誠実に果そうとしていた。
戊戌は誠意を尽くす性質があるとかかれている。
たしかにそういった誠意を行動に移す事によって硬い信用を作ろうとする、気持ちは昔も強い。
例えば小麦、乳製品、植物油、砂糖、を使わない食事を提供している。
 外食時道の駅などで、ラーメンしかなくラーメンを家族の一員が食した時でも、厳しく咎めたりはしない。大目に見て受入れる。最悪、自分が禁を犯すという事態は免かれる事が重要だ。
 数日後、ラーメンを食べていた家族に対して思い出し影響が及ぶごろ、怒りと悲しみが湧いてくる。
ラーメンやパスタ、天ぷら、パン、うどん、ピザ、焼きそば、これらを提供する事が何と簡単で、時短で、安価な事か。5年位やめている。
短い期間だ。何十年前の食生活が今後発生するかもしれない現在の病状に影響していると言われたら今後本当に怖いしかない。吉野敏明さんはそういう趣旨のことをチャンネ内でよく言っている。
自分でもいたい目にあってうどんやなんかは本当に食べなくなってしまった。
やめてから今思えば中毒だった。学食ではいつもうどんで、丸亀製麺も繁く訪れ、日清キャノーラ油が安売りサれていたらマストバイでいつも天ぷらをし、徐々に体内に突然病を誘発する飲しろ蓄積していたんだ。限界点にいつ達するか、時限爆弾のようだ。数十年前の今日何食べたかなんて覚えてないことが今の健康に影響するなんてありえないような事をおっしゃる。しかし振り返るとそうでないとも言えない。いつも子供時期からパン食でうどん、大好き家族で、趣味はバターマーガリンたっぷりのクッキー作り。話が逸れたが戊戌は大腸等のがんに注意と出ていた。たしかに何でも食べる。
 普段から言及してもこういう特別時には効かない。
 結局自分で決意する以外に此れ等を断つ道はない。断つ必要も今のところない。必要が出ないことを祈る。
 家族を健康にするために色々実施している私の誠実さはこんな逆境時に一番よく発揮される。
どうせ配慮しても無駄なので今日はカップラーメンを出そうとは思はない。
 そういうときこそ大きなフォローが必要だ。デトックスと体内アルカリ化計画。若芽やきゅうり酢の物をお出しして、簡単にコケてもらわないように、祈って実施し続ける事ができる。これは愛に基づいている人間的な行いだなぁとおもう。愛は赦しだ。禁を犯してもその場は許し、あとから誠意を実施することで、その場で言われるよりも応える筈だ。
 幾らかジレンマが生じても家族の健康を食で守るという目的達成にむかう為の歩みを誠実のみを便りにして、進めることができる。
そうやって悪いときこそサポートしようとすることで強い時分になっていける。実行すると周波数はやや上がるので、振動数が上がって自分が強くなると、それをみて相手はメトロノーム同調で、はげまされるはずだ。だからピンチこそチャンスだというのは、言いえて妙だ。チャンスはピンチの顔をしてやってくるとも。
 それができるエネルギーをやっぱり戊戌も魁罡四種盛りの一員として持っているのかもしれない。
 今日は鯵の酢締めを作った。3日かした水から上げて赤黒米入り玄米ご飯を炊いた。
 一気に寒くなってくるので乾燥から喉を守りたい。音読や祈を唱えて、上咽頭を鍛えることも重要だ。風邪から身を守りましょう。
 最も最近起きれてないので朝食をお出しできないが、ご飯はいつも炊けている。
 家族からは誠実ではないとコメントされた。
自分では結果に責任を持てないが、逆境に会ってもベストを尽くしたという誠意を持っていることは間違いない。最悪の時も諦めないで行いつづけることで、可能性は残り続ける。
 それは自己評価での話だ。どうでも良くなった時でも状況や人に呪いを持ったりしない。他人の評価を気にする必要はない。自分を、信じて実施するのみ。















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