魁罡2
魁罡の自分がどんなふうであるかお知らせします。魁罡には色々ありますが私は戊戌です。日柱と月柱が戊戌です。年柱は癸丑です。時柱は甲寅です。
皇室ではお世継ぎ候補のプリンセスがこの日の生まれです。
これをみた対立候補のご母堂様は帝王切開でご出産なさったのですが、手術日の設定が諮らずもいや諮るればこそばこそ、戊戌の日であったそうです。謀と言うのは今も昔も一種怖いです。
それとは関係なく二人のお世継ぎ候補は互いに仲良く戊戌の日がお誕生日であるそうです。
そんな文字通り、土土しい私は、土のように重く、動くことが、苦手な幼児でした。
土はめったに自分で動いたりしません。トイレに行くのさえそのために動くのが本当は億劫な性質でしたね。今はさすがに違いますけど。幼稚園頃の話です。活発にジャングルジムとかで遊ぶ友を見て、完全な別人の為せる技だと思っていました。かけっこも何故しなければならないかわかりませんので遊びで友とかけっこをスタートしても止まってしまって、戻る始末。空気が盛り下がるので、それ以来かけっこに加わりません。そもそも母が友達と私を遊ばせたかったので無理やり励まして列に加えたのでスタートする羽目になっただけで初めからなんのためかわからないのに重く感じる体を一生懸命振り動かす必要があるのか、意義を見出せませんでしたので、行いたくなかったのです。でも幼稚園の先生も母親たるもの、社会の誰もが、活発である事を良しとしていた時代ですから、長い義務教育の間では、自然とある程度期待にそう行動をする事を覚えてきたので、後年は運動出来なくはありません。ただめっちゃ楽勝なわけでもありません。意思の努力である程度できるだけです。
お世継ぎのプリンセス様は文武両道であるそうで素晴らしいという事だったそうですよね。こう言って言葉が古くかんじます。今時こんな価値観あるのかしらって思います。
私は、土が、ありがたく多すぎるからかもしれませんが、バランスの問題で、何でも、適度にあることは良いことですよね。
幼稚園では一人で砂遊びしかしませんでした。
本当は室内に居たいのですが、外遊びの時間は庭で何かしなければならないので泣く泣く出て、ジャングルジムに行ったのですが、全く上までスイスイ登って行く友達を見て、動きが重く脚がすくむ私は、適性がなかった事が判明したので、あとジャングルジムは当時園で人気の遊具だったので、混んでケンカになるため、遠ざかろうとした結果、人がいなくいつも空いていて、平和な砂場が定位置になりました。砂場は当時人気はなかったです。なのでいつも静かで空いていました。誰も喧嘩しません。砂場遊びは砂の扱いを覚えると、手を動かして神経を使い、水を混ぜて、形を整えて、日当たりの良い太陽の下で、じっと座っていられるのは、幸せでした。
戊戌ですが戌の陰干(用語は不明です)が壬なので、土に水を、混ぜて型抜きして、乾かす遊びは、気持ちよく取り組めました。山のようにじっとしていれば外遊びの時間は無事終わりました。戊というのは山なので山のような女形(おやま)ということは自分にぴったりな姿勢だったのです。幼児から女形ということもありませんが、女形歌舞伎など古典芸能でおやま呼ぶということは、後年知りました。
外遊びのが嫌いな私が外で取り組むべき砂場を見つけたので先生も私という生徒について褒むべき活発な点が見出されたのか、喜ばしい評価をくださった覚えがあります。
誰かが私のおかげで喜んでくれてよかったなぁと思いました。自分では仕方なくそれしかできることがなかったからなんですが、走り回ったりができないので、する事があってよかったですよね。土の属性の私は、お砂場が好きになり、いつも砂場気持ちよく過ごしていました。当時幼稚園の綺麗なお砂場にありがとうといいたいです。
四柱推命で土が多い私が幼稚園時を振り返って、砂場遊びと土を連想しました。
運動場も土でできているのでその上に立つことは好きでした。小学校時行進とか好きでしたね。
ただ騒がしく活気がみなぎる空間が苦手でしたね。火がないからだと思います。決定的に火が足りません。情熱的に体を動かせる人をみると、別人だと感じます。
秋冬の日向の山なので枯れています。落ち葉が積もって発酵しかかっているのかもしれません。
燃やしてもらったら土の栄養に成るのですが、自ら火が無いため着火しないので、着火されたくもなかったのかもしれません。ともすれば山火事にもなり得る危険もあるし癸丑がある事が年の基本なので、着火しても一時的で直ぐ消えるでしょう。
土の母が火なので、火の様に活発な様子がめだつ友達は母なる尊敬の対象でしかありません。
朝顔の栽培とかは大好きでしたね。土に物を植え水を与えると奇跡が起こる。双葉が出て本葉が出てツルが伸び,蕾ができて、花が咲いて、枯れ、種が取れる事が判りました。その時土は固くしなびて根に依って細かく砕かれ、悲しくも一見、朽ち果ててしまったようにも見えますが、一方で、根によってしっかり抱かれた土塊は、植物と協力して、遺伝子の無せる技を支えたという経験を地上で行ったのです。土は学びを得ました。朝顔を育てる経験をした事で、粒子が細かくサラサラになり、落ちる種を来年発芽させるのにふさわい、種まき用土のクオリティになっています。
園芸店で種まき用の土を買うと砂粒の様に細かい粒子のサラ土が入っていました。
プランターの根はせっせと種を、受け入れる土壌を耕していたんだということもできます。
タコのように足を張って、つちを砕き、種のベッドを作る作業を土中で進めているとは、賢い根ですよね。
土に朝顔など、色々な草が生えると真夏でも気温が草むらでは10度低いそうです。
砂漠の様に熱すぎたり、凍土の様に寒すぎたりすると微生物も土に住めません。ソーラーパネルの設置で永久日影になった土壌が、大地の意思で寝返りを打って、居心地よく土壌に日当たりを良くしようと、動くことがありますよね。
それは土も人間と同じように自然治癒力を持っているとしかおもえません。
健康な状態になって土本来の植物や微生物を育てるという使命をはたそうとしたいのかもしれません。
土も草に依って日陰を得て涼しく過ごせて、湿気も保ち、そこに昆虫も生息できます。
戊山が木で覆われることで山は山のフォルムを維持することができます。砂だと崩れてしまいます。
木の母は土ですが、木の支えのお陰で土は下へ下へと染み込み濾過され、適度に綺麗なミネラルたっぷりの水を、麓や海に供給できます。
濾過装置を作る時、浄水器などで目の細かい、ミクロン単位の、濾材を使った浄水器を越した水は澄んでいます。
それよりも雨が降った時に、1次的に、葉や根が堰き止めてくれることで水害を防いでいます。
何より木は上に向いて伸びていることで宇宙エネルギーを受け取ってくれています。
四柱推命ではモッカドゴンスイという木火土金水の事象が相克と相生関係にあるとされますが、私は相克の概念が飲み込めないので、独自の理解をしようとしています。一般的なアイデアでは土は木に酷されるとされています。木が次の栄養を奪うからです。しかし木が土の循環を促して、利用し、土はそれに柔軟に対応し、種を、受け取る日を、待つ準備をしているとも言えます。
土は木に利用していただいてお役に立ち喜んでいるはずです。
養分ためたのに奪われて酷い事されちゃったれちゃったとは思っていないと思うのですよね。
土が受けている宇宙エネルギーはそんなに制限的ではない無限だと思うからです。
木もそのように土に迷惑がられていない事で遠慮なく伸びやかに成長を゙遂げることができます。
土だって栄養がなくなったら、火山に噴火していただいて地中のミネラルを地表に混ぜたりもできるし、宇宙から水が、飛来して土を豊かにすることだってあります。木は宇宙で無限に大きくなれる可能性を秘めています。実際エアーズロック等の岩とされているものは実は巨大な木の切り株だと考える人もオールターナティブ歴史研究家の中には居るそうです。実際に写真しか見たことがないので自分の妄想に過ぎませんが、ネガティブなイメージを彷彿とさせる,酷す、酷されるの関係では土と木が無いことを祈ります。
命式では甲と戊が両方あるし癸もあるのでこれだけみると山で木を自己栽培して水も与えられそうで林業に適した人みたいに思います。(笑)。
魁罡という難しい言葉をタイトルに挙げている割には解釈方法に全く疎い私の自己流解釈で笑ってしまいますが、それが本当なら自営業できそうです。(笑)。廃れている日本の林業を救助するような何かができそうです。
でも戌なので戌と丑と寅ってどう解釈するのか全くわかりません。火や金が少ないのでだいそれた鋼鉄の意思や燃えたぎる情熱はなさそうですね。でも頑固ではあります。別に山を所有しているわけでもないし考える必要もありません。
最近国有林が外國に売られようとする動きがあるそうですよね。山神様のご機嫌を損ねてしまうような事態が起こらないことを希望します。
ただの言葉の綾だと思いますが、時代も進化しているので新しい解釈法が生まれてもいいのではないかと思います。
話が混乱して意識が朦朧としてきたのでもうねむりに就くことにします。
見てくださいましてありがとうございました。