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「目が合うと張り切る時計」を買う妄想

正しく時刻が合うのが時計の価値であり、わたしたちは時刻を知るために時計を見る。

今何時だろう。ふと目をやるときに、ずぼらなわたしの体内時計は、現実に引き戻されるかのように正しい針によって直される。あと5分、あと5分、ベッドの中で幾度祈っても時計の針は無常に正しい時を知らせてくる。

そんな時計と少し違う、「目が合うと張り切る時計」をMouMaで見つけた。

実際、店に並んでいるときは、この売り文句がほんとうかどうか訝しんでいた。よくある腕時計。他のすました時計たち同様、きちんと店主によってメンテされ、時刻も正しく見える。至って平凡シンプルな文字盤をしたその時計は、商品名に目を留めずに買っていたら普通の時計と思ったかもしれない。

ほどなくして違和感を感じた。電池切れ?
針が進んでいない気がして、パソコンの時計を見てみると、既に30分程度が経っている。

再び時計にも目をやると、針は同じ時刻をさしていた。気のせいか。
そんなことを幾度か経験してやっと気が付いた。いや、使い方を知ったという方がいいかもしれない。

この時計は、目をやらないと常に遅れている、というよりもほとんど動いてさえいない。目線を合わせると、あたかも遅れを挽回するかのように針がはやまり、時刻に追いつくと止まる。

始めはきょとんとしていたものの、慣れてくると針の動きを追うことで時間の量を計ることができた。短針と長針が張り切っている間、わたしはアナログのレコードの針を戻すかのように、時計を楽しむことができている。

この時計を買ってから、時間を読むということの意味が変わった。わたしにとって重要だったのは、この失われていた時間を読む時間だったのかもしれない。

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注:このくしゃみはハクションです。登場する商品・人物・団体・名称等は、すべて妄想にあったことで、現実との境界は読者の領分に委ねられております。