妊娠中絶は全て禁止すべきなのか?
米国の大統領選挙の論点の一つとなっている。キリスト教福音派の話を聞いていると中絶は殺人であり全ての妊娠中絶は禁止されるべきだと言っているように聞こえる。
母体の中で死んだ赤ちゃんを取り出してもらおうと医師のもとへ行ったのに、中絶処置をしたとみなされることを恐れた医師がこれを拒絶、結果としてこの女性は死亡したというケースがT Vで紹介された。なんという悲劇だろう。これは米国の中絶を禁止した州での出来事である。
私はカトリックの教えはざっくり次のようなことだと理解している:
愛し合うものが子供を作るために行うのが性行為であり、快楽は子供を作ることへのご褒美である。従って快楽を得た後に、妊娠を中絶しようとすることは無責任である。
しかし妊娠の経緯はそう単純ではない。妊娠中絶を一律に禁止することが正しいことは到底思えない。
妊娠中絶を希望する理由は色々:
1.暴漢にレイプされた結果の妊娠
2.家族間の性行為での妊娠
3.子供の妊娠
4.生まれる子供に深刻な難病や奇形が判明している場合
5.経済的事情から育てるのが困難と判断した場合
それぞれで違う対応が考えられる。まず母体が危険となるケースは明らかに中絶すべきだろう。それ以外についても色々な対応が考えられる。
経済的事情で出産が困難と考える場合や、なんらかの事情で子供がいることを隠したい場合は公的な保育・育児施設で育てる方法がある。いわゆる捨て子が発見された場合と同じだ。
しかし、#1〜3の場合は当事者の女性にとっては子供の存在そのものが悪夢の元となることも考えられる。その場合には早い時期の中絶は許されるべきかもしれない。そしてそれは妊娠している女性に決める権利があると考える。
難しいのは難病や奇形が判明している場合だろう。大変と分かっていても育てたいと思う親がいれば、生まれて欲しくないと考える親もいるはず。どちらが正しいとは言えない。そして病名や奇形の程度を法律が一律に線引きをして“中絶すべき”とか“中絶すべきではない”と決めることでもないと考える。
難病や奇形の問題についてはその対応として社会的負担が発生することも考えておく必要が、一方で双子の体が繋がって生まれ、日本で手術して分離したベトナム人の子供(ベトちゃん、ドクちゃん)の例があるように医学の進歩で色々な対応が可能となっていることも考えておくべきだろう。
ケースバイケースで柔軟に対処すべき問題ではないだろうか? まずは保育施設、養護施設など子供を受け入れる公的施設を拡充することが大事なのでは? 最後は本人の判断で決めることのように思う。