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自分の体は誰のものか?ーTiger Lily Tokyoの下着を通して考える


この数日、「自分の好きなことを誰かに伝える行為」がとにかく下手だということを自覚したので、練習を兼ねてnoteに綴っていきたいと思う。

偏愛日記の第1回目は、敬愛するランジェリーブランド、Tiger Lily Tokyo(タイガーリリートーキョー)について語りたい。

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Tiger Lily Tokyoの下着を初めてつけた時、自分の体がようやく自分のものになったような気がした。

「いきなりスピリチュアルな話....?」と引かれてもおかしくない書き出しをしてしまったので、まずはずっと取り憑かれてきた肉体に対する自分の価値観についてお話しすることを許してほしい。
(私的過ぎる話題も突き詰めれば普遍的になることを信じて…)

子供の頃から、女の体に生まれたことは罰ゲームだと割と本気で思っていた。
これは男家族に生まれたのが災いし、女だから受ける嫌がらせというものをかなり早いうちから経験したがゆえだ。

身内からの嫌がらせもあったし、外部でも家の前で待ち伏せして「僕と遊びに行かない?」と声を掛ける誘拐未遂男や、私を膝に乗せ頭を撫でるのが好きだったオジサンなど(その後同じ年格好の女の子に手を出し街を離れたということを知った)、「一歩間違っていたらどうなっていたのだろう?」という危険と常に隣り合わせだった。

これを思えば「女の体を持っているのは危険なこと」という認識が、ランドセルを背負っている時分からすっかり定着してしまったのも、まあ当たり前なように思う。

そして、そんな防衛意識は思春期になって「間違っても体が女らしくならないよう、過敏に体重を管理する」という形で発露する。
中学生の私はペラペラの少年のような体型を維持することにとにかく必死だった。ちょっと肉がついただけで「あの時私何食べてた...?」と友達ひっ捕まえて尋問するような過敏さだった。(よく友達やめないでいてくれたよね)

今思うとこの頃から自分の体の在り方を、他人の目を通して決める癖がついてしまっていたような気がする。身内に色気づいたと思われないように、女というシグナルをむやみに出して通学路に潜む不審者を寄せ付けないように。

こうしていつの間にか自分の体を自分の思うが侭にできなくなり、徐々に自分の体の所有権のようなものがあやふやになっていった。

そして、そんな体だからこそ当然、下着選びには積極的になれなかった。
今はもうどんな体型にも似合う下着があることを知っているが、当時は胸は寄せて上げて谷間を作るのが正義の時代だ。
くびれた腰に豊かな胸のモデルが身につける下着を眺めては、「あれは別の世界で生きる人のものだから」というような疎外感がずっとあった。
あれは自分が身に付けるものではなく眺めて楽しむものと、ショーガールやアイドルに入れ込むことでその欲を満たしていた。

だから、そんな価値観を痩せた体に押し込んだまま育ってしまったので、大人になってからも下着選びの基準は「恋人がどう思うか?」の1点だった。
日々のチョイスに自分の好みは介在せず、手の込んだ料理を作ってみるとか、髪型を変えてみるとかと同じような、恋人を喜ばすための選択肢の1つでしかなかった。
たとえ自分の好みでなかろうがサイズがあってなかろうが問題ではなかったし、そもそも自分はそんなことを気にする土俵にも立てていないと思っていた。

が、そんなねじくれた価値観も、いくつかのきっかけの中で徐々に変化していった。
1番大きなターニングポイントになったのは昨年の、長く付き合っていた恋人との別れだったように思う。
別れのショックは後を引いたが、それを越えた時なんというか、ずっと預けていた自分の体が返ってきたような気がしたのだ。

それまでは、「女であることの恐怖」の結果である、(望まない)ぺらぺらの体の所在を恋人に委ねることで、私はそんな体を嫌悪せずにすんだ。だって私のものでないのだから。
(でも、こんな投げやりな考え方は確実に心にも悪影響を与え始めていた。)

文字通り心身ともに誰かに任せて主体性を手離すことはある意味とてもラクではあるが、別れを経て一時的に自分の手元に帰ってきた体を前に、「これでいいのか?」と初めて思ったのである。
誰かの目を通してしか自分の体を認めることも愛することもできない生き方で本当にいいのかと。いやよくない、そろそろ自分のものにしてみたい!と本気で、心から、思った。

そこから、自尊心を回復するセラピーの一環のような気持ちで、下着選びを始めた。一番体に近い布なのだから、自分の体を大事にする練習としては最適かと思って。
誰の目を気にすることなく、自分の望むままのものを探してみようと思った。

そして、色々とトライアンドエラーを繰り返す中で出会ったのが、Tiger Lily Tokyoである。(ようやくお名前を出すことができた...!)

Tiger Lily Tokyoは、身体を締め付けず、その人らしい美しさを実現すること、をコンセプトに掲げるショップなのだが、このブランドのどこがすごいのかというと、主語が完全に「女性」であるところだ。

というのもこちら、主力商品はノンワイヤーブラなのである。
谷間を無理に作って誰かの理想の体になることが目的ではなく、身に着ける女性の快適さ、心地よさに徹底的に寄り添おうとしてくれたがゆえのチョイスであることが伝わってくる。

これを読んでいる中には殿方もいるかもしれないのでノンワイヤーとはなんぞやというところを一応簡単に説明しておくと、恐らくあなた方が普段お目にかかっているブラはワイヤー入りのものだ。
ワイヤーブラはもちろん補正力があり綺麗なバストメイクができるのだが、きちんと選ばないと結構痛かったりもする。(自分のデリケートな部分が四六時中硬いワイヤー内に押し込められている様子を想像してみてほしい)

じゃあずっとノンワイヤーでいいじゃないかと言われると、多分これも難しい。専門知識に欠けるので心理的な抵抗感の方で説明すると、「すっぴんの状態が肌にいいのは勿論知っているけど、現実問題ずっとそうはいれないよねー」というのと近い気がする。

ノンワイヤーは確かにラクだ、でもどこかサボっている気持ちがあって後ろめたいし、服を着た時のラインも味気ない....そして大人に似合うデザインのものもなかなかない。

でもTiger Lily Tokyoはそういうネガティブなイメージを、まるっとひっくり返してくれた。肌あたり柔らかなレースに繊細に光る金具、裏地の布のような細部に至るまで一切抜かりなく、どこをとっても美しく気高い。

確かにバストメイクはナチュラルで、俗にいう胸が盛れるような代物ではないのだけれど、あまりのフィット具合に「下着をつけた女性の体はこうあるべき」というような価値観自体がそもそも間違いだったのかもと思えてくる。

ラクしていいじゃない、私達とことん身に着ける女性の快適さに寄り添いますから。そして、その結果として漂う健康的なセクシーさが、あなた本来の美しさなのですよと。
下着初心者の私は勝手にそんなメッセージを受け取り、勝手に背中を押してもらっていた。
だって現にTiger Lily TokyoのSNSを覗けば、いろんな等身大の女性たちがチャーミングに笑いかけてくれる。痩せた胸でも、の割に肉付きの良い下半身でも、女性の肉体美の理想どおりの体でなくても、自由に楽しんでいいのだ。


初めてつけたTiger Lily Tokyoの赤い下着は、自分の体にぴったり寄り添い、今までふわふわ漂っていた体を、自分自身にしっかりと固定してくれているような気持ちになった。
「これなら好きになれるかも」と本気で思ったし、何十年かぶりに自分の体を、自分の目を通して見てあげられたような気がした。

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「無理しない、頑張らない」をブランドの売りにすることはきっと難しい。
それを声高に叫んだ途端たちまち脅迫観念となり、「無理しないように頑張る」という矛盾が生まれてしまう。

でもその矛盾を超え、「こんな道もあるけどどう?」と、そんな気軽さで声を掛けてくれるのがTiger Lily Tokyoというブランドの良さだと思う。

誰かのために何かを選ぶことも勿論素敵なのだけど、出発点や主語はまず自分にあるべきだ。ましてや自分の心地よさを蔑ろにしてまで優先しないといけないはずはない。そんな当たり前のことに、下着を通して気付かせてもらった。

たかが下着、されど下着。

いつかあなたにも楽しめる日が来るよと、ふてくされていた10年前の自分に言ってあげたい。



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