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「輝きは君の中に」という話
noteを始めてから、
書きたい事を思いつくと、
その都度iPhoneのメモ帳に
ネタを書いておく癖がついた。
それでも結局は、
その日の夜pcに向かい、
何を書こうかなぁなどと思いながら、
あてもなく書き始めた文章の方が、
書き進めたくなる事が断然多い。
このように、
思いついた面白そうな事も、
可視化されると途端に輝きを失ってしまう。
この感覚に覚えがあり、
よくよく思い返してみると、
ふと幼少期の事に思い当たった。
子供の頃、一つのぬいぐるみや
もしくはおもちゃを
一途に大事にしている女の子に憧れ、
新しいぬいぐるみを買ってもらうたび
今度こそこの子を大事にするぞと
心の中で熱く誓ったり、
これだったらずっと可愛がれるだろうと
思えるようなものを吟味するのだが、
その時はすごく良いと思えた何もかもは
手に入った途端に輝きを失い、
挙句陳腐に思える事さえしばしばであった。
そしてそういう自分の性質が、
幼心に嫌だった。
おそらく私は、
その物自体が好きなのではなく、
消費という行為や、
新しい物を手に入れるという
体験が好きなだけなのだろうと
今では思う。
それが良いか悪いかはここではさておき、
しかし私のような人間からすると、
物自体に愛着を持ち、
一途に慈しむ事ができるのは、
ある意味羨ましかったりする。
もちろん思いついたネタの全てを、
瞬時にその場で記録できるとは限らない。
書きつける前に忘れ、
思い出せずじまいになると、
途端にそれが特別面白いアイディアで、
自分が何かとんでもないものを
逃してしまったかのようにさえ感じられるが、
そもそもそれが本当にそうであれば、
簡単に忘れられるはずがなく、
輝きはいつも、自分の頭の中だけにあると思う。
以下私信
>>主人
息子のお風呂、ミルク、寝かしつけ
いつもありがとう。
私が夜にゆっくり書き物が出来るのは、
ひとえにそのおかげです。
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