青春の後遺症
定期的にTwitterの惚気アカウント(全然知らない若者の)を見る。かつては自分もこんな感じだったはずなのだが、今は全く知らない世界を覗いている気持ちだ。宇宙語でも読んでいるのではと錯覚するほど、意味がわからなくなっている。
既読がつかなくて不安になるとか、電話すると言うからずっと待ってたのに来ないと怒っていたり、「そういえばそんなこともあったな」と懐かしむ自分が一気にババアになった気がして落ち込む一連の流れ。
愛はわかる気がするのに恋を忘れた。
愛はこれからも大事に出来る気がするのに、恋は出来ない。何故だろうと考えたら今まで自分の恋って性と結び付きすぎていたような気がした。性と呼ぶのはおかしいかもしれない。ここはハッキリ性欲と言おう。
子宮が疼かなければ恋にならなかったので、私の恋は常に性欲と共にあった。私は恋をした時に「子宮が疼く」という表現を多用していたと思う。この感覚はわかる人にはわかるだろう。
だから性欲を失くした今、恋も失くした気持ちになっている。何故そこが連動してしまったのか、突き詰めて考えるとやはり思春期の恋愛が鍵だったのではと思わずにはいられない。人のせいにするわけではないが、あの日々が私の人生を狂わせた要素は十分にあると思う。(人のせいにしている)
もし高校生の自分に戻るならその時の恋人には「私を抱く時は常に処女を抱く時のように丁寧に扱い、いつまでも女向けAVのようなつまらないセックスをしろ」と指摘しておきたい。そうすればもう少し拗れずに済んだかもしれない。少なくとも1人でSMバーに足を運ぶ女にはならなかったと思う。
しかしそんな女も現在、そういったギラギラした気持ちは遠のき、やがて見えなくなり、深く沈み、今や跡形もなくなっている。
もうここまで来るともはや私の中で性欲はパンドラの匣で、次に触れてしまう時が怖い。
それと同時に恋も動き出してしまうのではないか。しかし人生31年経ち、様々な経験(失敗を多く含む)をしてきた今の私は堂々と言える。
性欲で動き出す恋はろくなものではない。
いや、ここはもう太字にしよう。
性欲で動き出す恋はろくなものではない。
これは本当に声を大にして言いたいし
高校生の私に、どうか誰かが確かな熱意を持って伝えて欲しかった
最近、同級生の友人が母校で未来ある高校生たちに向けて仕事についての講義を行ったそうだ。
でも私は思う。仕事が人生のメインになる人とそうでない人がいる。私は仕事についての話なんかより、正直こういうしょ〜〜もない大人の話の方が聞きたかった。
もし私が今母校で高校生たちに向けて講義をするのなら、と考えてみた。私は服飾の学校へ通い続けたにも関わらず、今や全くもって関係のない仕事に就いており、しかも「なんか面白そう」という好奇心だけで決めた性病検査メインのクリニックで働いている。人からどう思われようと、私はこの仕事を気に入っている。実際トンデモ事件が巻き起こるので退屈しない。ハロワでこの仕事を見つけた時には運命を感じたものだ。
そういうわけなので、服飾学生に向けたファッション業界の話などは微塵も出来ない。それどころかファッションについてならもう高校生の方が詳しいのではないかとすら思う。私は服飾出の癖にファッションに疎い。
だがしかし、私のしたい話はファッションや職業に関係なく若者全員に伝えたいことだ。
その1、性欲で恋を発動させてはいけない。(当たり前)
その2、性行為は悪いことではないが、絶対に避妊をしよう。させよう。(当たり前) 病気は怖い。(それはそう)
その3、今ファッションの勉強をしているからと言って、別にファッションの仕事に就かなくても良い。
大まかに書くとこんな感じである。
その3はかろうじて関係ある話というか、まあそんな未来もアリだよということで将来を考えるきっかけにはなりそうだがメインが上の2つなのでどうしようもない。脳内でシミュレーションしてみたがどう考えても自分がオブラートに包んで話すということが出来ないので、想像でも先生たちが青ざめてしまう。
恐らく母校から私に講義のオファーが来ることはないだろう。
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