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やらない理由

「やらない理由を追い求める」というのはなんとも不思議な感じがする。

だって、その人はやってないのだから、そんなものは意識していないだろう。
仮に意識していたとして、やらないこと、に大した理由などないと僕は思っている。

要は、「何かをする」という行為の裏には、「する」という選択があった以上何らか理由があると思うのは必然なのかもしれない。

しかし一方で「何かをやらない」ということに関して、そんな大した理由など存在するのだろうか。

こんなことを僕が思ったのには理由がある。BRUTUSの2017年12月号で「映画を見ていない理由」が語られていたことである。

この特集を読んで思ったことは、この消費社会にあって、触れないということがまず不可能な場合、「しない」ということは選択可能であって、最もらしい理由もつけることはそれほど難しいことではないということである。

この観点からいくと、「やらない理由を追い求める」という行為は、とても近代的な気がするのだ。

そんなことを考えていたら、今日も夜が更けていた。

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