お風呂掃除が好きでもジャニオタでいい
こんにちは。ジャニオタになってしまいました。
新型コロナウイルスが流行する、混沌の中で新生活を歩みはじめてからもうすぐ1年です。
新しい土地での暮らしは、私の構成物を日々塗り替えてゆきます。
私を支える軸は揺るがないまま、少しずつ外壁の色が変わっていくような気持ち。自分の変化を楽しみながら毎日眠りについています。
新しい色が広がる世界の中で、人との関わりが与えてくれる差し色は濃厚なものなのです。
約1か月前、職場でお世話になっている先輩を我が家に招くことになりました。
誰かを「自分の家」に招くことは、閉鎖的な家庭で育った私にとって、ながい間の夢でした。
夢がかなった上に、この日は私が作った料理を先輩に食べてもらいました。誰かから自分の料理の感想を得る感動を知ったのです。
食事が終了し、私が数か月前に購入したプロジェクターでアイドルグループ「SnowMan」のYouTube動画を見ることになりました。
SnowManの存在は1年ほど前から知っていました。彼らを知った当時は、センターの子脚長いな〜パフォーマンス上手いな〜ぐらいの軽い認識でした。
YouTubeを鑑賞しているあいだ、SnowManのファンである先輩は、かがやきに満ちた目で彼らを見つめています。推しに元気をもらっていた1年前の自分を思い出し、私は懐かしい気持ちになるのでした。
しかし、SnowManのある動画が、地中に埋もれていた私のオタク・スピリットを掘り起こすこととなるのです。
その動画がこちらです。
無理なのはこっちだよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
私の眠っていたオタク・スピリットが・・・1年ぶりに・・・日の光を浴びてしまった・・・
目黒蓮くん・・・彼はいったい・・・??
ジャニーズに、こんなに儚い雰囲気を持つひとがいるなんて知りませんでした。しかもただやわらかいだけではなく、凛とした佇まいで人を仕留める鋭さも持っている。
ただでさえ私は黒髪テクノカットに対して異常な執着心を持っているのに、内面からにじみ出る彼の緩急までも感じ取ってしまっては、もう恋の奴隷となるしかありませんでした。
完全に目黒蓮くんに恋してしまった私は、先輩が帰った後もこの大火事を消火することが出来ず、ベッドに入り瞳を閉じるまで「君の彼氏になりたい。」をリピート再生することになりました。風呂でも聞いた。
実は、私はジャニーズに所属するタレントに惹かれるのは今回が初めてではありません。小学生の頃はHey!Say!JUMPの山田涼介くんのファンでした。月が変わっても山田くんの載った月にしたまま、カレンダーにいってきますの挨拶をしてランドセルを背負っていた小学生だったのですが、役10年ぶりにジャニーズの沼を覗いてみたら社長が変わっていたり、YouTubeでアイドルの活動を見ることができるようになっていたり…浦島太郎状態です。
話を戻します。
約1年、人間を推すことから離れていた私の目の前に突如現れた目黒蓮くんの放つひかりは、強烈なものでした。
何故誰も推さない1年間となったのか
新型コロナウイルスが流行する前の私は、現場第一主義でした。
大学生の頃は頻繁にライブ、舞台、トークショー、お渡し会などの「現場」に行っていました。「推し」を見て得た活力が、私の生きるためのエネルギーの大半を占めていました。
しかし、2020年は新型コロナウイルスの影響で現場が破壊されつくす1年となりました。
1年前はLDHアーティストのファンだったのですが、当然現場がなければモチベも上がらず、徐々に彼らの情報を追う気力も削がれていきました。結果誰かに熱中することのない1年となったのです。
しかし、現場で得ていた活力を何か別の分野で補充すること無しには、新生活のストレスを乗り切ることはできなかったのです。
カレーとコーヒー
社会人になって役1ヶ月が経過し、私が夢中になったものは飲食でした。
まずはカレーです。
たまたま訪れたインドカレー店で、スパイスの配合法により味が変化するカレーの面白さに気付きました。
平日に行きたいカレー店を洗い出し、休日にバスや電車を乗り継いでカレー店に向かうまでの好奇心は、チケットを手にしてから会場に向かうまでのあの胸の高鳴りを思い出させました。
スパイスが口の中いっぱいに広がるあのしあわせを家でも味わいたくなり、スパイスを購入し自身でカレーを作るようにもなりました。カレーのおかげで包丁が持てるようになったと言っても過言ではありません。
次にコーヒーです。
新生活を始める際にコーヒードリップマシンを購入したのですが、その時の私はコーヒーに対する知識が全くと言っていいほどありませんでした。
とにかく豆があればコーヒーが飲めると思っていた私はミルの存在を完全に捨て置き、挽かれていない状態のコーヒー豆をそのままドリップすることになります。結果コーヒー風味のお湯が出てきました。ウケる。
コーヒー豆をコーヒーの状態に持っていくには挽く作業が必要だと知った私は、早速家電メーカー店に向かいミルを購入するのでした。
ミルを購入したことにより、私の手のなかで七色に変化するコーヒーの世界の彩りに出会いました。
挽き方や湯の温度を調整することで、一日の始まりを自由に描くことのできるコーヒーは、私の一日の始まりになくてはならないものとなったのです。
生活するっておもしろい
カレーとコーヒーからうまれた私の飲食への興味関心は、徐々に衣食住すべてに注がれてゆきました。
お米屋さんの店主においしい玄米の炊き方を教えてもらう楽しさ、
おきにいりのワンピースでコーヒーショップに向かうときめき、
お花屋さんで赤いチューリップに一目ぼれ。
それらはライブ1回の昂揚に比べたらとても小さいよろこびですが、出会うとなんだか胸の辺りがうきうきしてスキップしたくなるような暖かさがあるのでした。
私はいつの間にか、起きて寝るまでをいかに楽しく過ごすか追求するようになりました。「自分の生活」のオタクになったのです。
プロジェクターも、おうちを映画館にしたくて買いました。
まさかそのプロジェクターが切っ掛けでジャニオタになろうとは思いもしなかったのですが…。
えらいオタクにならなくていい
私はこの1年で、自分の中に「推し」以外に夢中になるかけらがあったのだと知りました。
現場に通っていた頃の私は、「お金をたくさん落とす人間が一番えらい」と思っていました。
今でもそう思います。ライブに行って、円盤も買って、雑誌もぜんぶ追うオタクが一番強くてえらい。
お金を出すだけではありません。好きな気持ちをインターネット上で発信するオタクも強いんです。(発信によって1ミリでも社会に「推し」が浸透すれば、推しの活動の幅が広がる可能性がありますから。)
しかし今の私は「えらいオタク」になりたいわけではないのです。
声優さんを推している時も、LDHのアーティストを応援している時も、「お金を出すことが一番えらい」と声高に叫びながら、それでも私はずっと、「えらさ」の戦場から抜け出したいと思っていました。
あ、私はもう戦わなくていいのだと感じた例が、テレビ番組への向き合い方です。
私の家にはテレビがありません。
元来テレビを見る機会が少ない家で育ったことが一番大きな要因だと思います。現在の家に引っ越す前は会社の寮に住んでいたのですが、約半年間支給されたテレビの線は抜きっ放しでした。
また、自身で選択していない情報が目に入ることも苦痛なのです。
ニュース等はYouTubeで見ています。気になるニュースや知らない情報を選んで再生できるのでストレスがたまりません。
加えて、私はリアルタイムで番組を視聴することが、どうも苦手なのです。
画面の向こうで笑う推しを、数多のファンが同じように視聴していると思うと、彼ら彼女らの集合する感情の巨大さに委縮してしまうのです。
ですからインターネットでSnow Manのファンである友人を作るつもりは、今のところありません。
テレビの前に座って目黒くんを見ている誰かと、目黒くんのことを忘れて晩御飯を食べている自分を比較して、自分のモチベの低さに落ち込みたくないのです。
また、放送に向けて食事の時間を早めたり、入浴を手早く行うことは、緻密かつ崩れやすい生活リズムを組む私に、強いストレスを与えるのです。
Snow Manは数々のテレビ番組に出演していますが、今後もテレビを買うことはないと思います。
自分の生活を見つめ続けた1年が、自分の生活と推し活を天秤にかけた時の「テレビを買わない」という選択を生んだのです。やっと自分が「えらさ」の戦場から降りることができたのだなと感じました。
オタク・ライフ・バランス
お金も時間もかけてSnow Manを応援している方からしたら、私はファンでもジャニオタでもないのかもしれません。
でも今は、こうした推し方が自分に適当だと信じることができるのです。こころを病まずに誰かを好きでいることが、わたしにとっていちばん重要なことなのです。
朝から晩までバイトして得たお金でチケットを取ったわたし、
鼻歌を歌いながらお風呂掃除をしているわたし、
どちらも幸せに生きようとするわたしではないですか。
推しのきらめきに目がくらむ瞬間と、自分のいのちの上をゆっくり歩くしあわせ、それらの境目がとけて一つになることは、なにもさびしいことではありません。
目黒蓮くんの魅力についてはまた今度語ります。