父に聞いてみたいこと。
父が亡くなってもうすぐ2年になる。
秋に生まれて、秋に亡くなった。
これからあと多分60年くらいは生きるであろう自分の人生の半分以上、父が居ないことになる。
今となっては聞いてみたい事はいっぱいある。
これまでの人生、どんな人生だったの?
別にどんな人生だったっていいのだけれど、
父は自分の人生をどんな言葉で表現するんだろう。
楽観的で、ほとんど思慮深さのない人だった。
人のどうでもいい話は目を見ながら集中して聞けない人。
笑上戸だからお酒の席は比較的楽しくて好きだったけど、飲みすぎると同じ話を繰り返した。そうなると今度はうんざりした私の方が目を見ず話を聞き流す。
そして10代後半からのベビースモーカー。
こんな人だったから好きかと言われたらどちらかというとそうでもないし、
家での喫煙問題で何度も大喧嘩したし、
話し相手として楽しくないし、
いつからか、勝手に意思疎通を諦めていた気がする。
もう会えなくなってから、父の色々を聞きたくなった。
2年前の8月末に胃癌と分かってから、余命4ヶ月と言われ、1ヶ月も経たずに他界した。
この1ヶ月は正直、努めて明るく、いつもの自分を保つ事で精一杯だった。
いや、いつもの自分ではなかったと思うけど。
本当にショックだった。最後の約1週間は在宅医療に切り替え、家族皆んな集まって看病をした。
家族の中で最も強靭だと思っていた父が日に日に弱っていくのを見るのは、本当にショックだった。
子供の頃、風邪で熱を出したら布団を敷いて寝ていた実家の、居間の横の和室に、今度は治らない病の父が寝ている。
近々訪れるであろう父の死を思うと、涙が込み上げてきてしまった。
でもその涙の理由は父の気持ちを思ってというよりも、被害者的涙だったかもしれない。
今後は父親のいない人生になるの?私の結婚式は父親出席しないの?どんな人と結婚するかも知らずに死んでしまうの?
父の気持ちのことより、そんな風に自分のことばかり考えてしまう自分が少し嫌だった。
出張が多かったり、お酒が好きでよく飲みに出かけていて晩年は家にいないのがデフォルトだったから、
亡くなったばかりの頃はまたすぐ会えるような気がした。
帰ってきたら、あの時どうだったの?どんな人生だったの?ドラクエⅤ何周したの?って聞いてみよう、なんて考えるくらい自然に。
50日の供養の少し前、夢に父が出てきた。
ソファに横になるように、仏壇の前に横になっていた。
姿は病気になる前の、太った父。
お酒を飲んだ時みたいに朗らかで、でも相変わらず目は逸らしてどこか別の方を見ていて、
母が「もうすぐ50日の供養で皆んな呼ぶんだよ。会場も押さえてて、食事はコロナ禍だから美味しそうなお弁当頼んであって、家帰ってからみんなで食べるよ」と言うと、
父は「ふぅん、そうか」なんて言いながら嬉しそうに笑っていた。
雰囲気が良くて、兄も私も気分が高揚した感じだった。
生前にもっと話をしておけばよかった。
そんなに飲みに行く時間とお金があるなら、
家族で美味しいもの食べに連れてってよとか、
ちょっと良いお宿の温泉宿旅行連れてってよとか、
もっともっと、おねだりすれば良かった。
そうしていつもと違う雰囲気の中、どんな人生だったのって聞いてみればよかった。
全部できなくなってから、最後の家族揃っての外食はあの時だった、最後の温泉旅行はあの時だったって気付くことになる。最後のドライブだって、最後の食事だって。
父はもういないから、どんなに後悔しても仕方ないけど、
今いる家族に対しては後悔しないように、一緒にいる時間を大切にしたい。
言葉にするのは簡単だけど、ちゃんと実践したい。
2年前の今頃、ひょっとして悪い病気かも、大きい病院で検査するって話を聞いていた頃だった。
そうしたら、まさか、まさか。
長年の喫煙で間質性肺炎になっていて手術を耐えられる肺ではない。
抗がん剤も、もう使えない。
肝臓とリンパにも転移している。
急に目の前が真っ暗になったようだった。
8月になるとその頃を思い出す。きっと、これからもずっと。
なんだかまとまりのない文章になってしまった。
私の人生の中でレアキャラになってしまった父。
次会う時は何十年か後、天国でかな?
ちゃんと聞いてくれるのかわからないけど、面白い話たくさん用意しておくね。
夫と息子の自慢もさせてね。
そして、どんな人生だったのか、聞かせてね。
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