ものごころついたときから、日常と孤独が苦手だった 何でもない日常が来ることが、怖かった 1人きりで、 しん… という音が聞こえる程静かな家の中で 日常という今の時間が過ぎてゆくことが、苦痛であった 一人でいると何が怖いのかというと、不安な気持ちが黒い霧のように心の中を覆ってしまって、息が苦しくなって、出られなくなるのである。 何かわからないもの、死や、自分の意思と関係なく流れてゆく時間や、不確定な未来や、来るかも来ないかもしれないわからない痛みや苦しみ、が怖い
自分は今何歳だったっけ 30歳をすぎたころから、だんだんわからなくなってきた。 一方で、これまでの人生、ずっと年相応か、それ以上の何か、を目指してきたように思う 憧れのあの歌手は、16歳でもうこんな曲を作っていた あの人は大学生からギターを始めてプロになった 26歳ならまだ公務員に転職できる あの人は30歳でもうあんな役職についている 同級生は35歳で会社を立ち上げた あの人は40歳なのにまだあんな子供のようなことを言っている 年より若く見える 子供を産む
目の前にいる人、いない人、あらゆる人と自分を比較して、勝敗を勝手にジャッジし、勝てば安堵し、負ければ焦燥感に苛まれる そんな人生は、もう嫌だと思うそばから、目に入った若手作家の年齢と経歴を確認する 出身校の偏差値 若さ 年収 業績の数 他人からの評価 見た目の美しさ 子供の数まで! そんなことで比較して何になるのか 勝ったから何なのか 本当に、何にもならない。 比べられることが当たり前の人生 比べることが当たり前の毎日 まずは、他人の年齢を確認する
25歳を過ぎたあたりから、自分の歩く道がどこへ続いているのか、わからなくなってきた。 35歳を過ぎて、不惑の40歳が見えてきて、まだ全然自分の人生の舵を握っていないことに焦っている。 人生は、いつ終わるかわからない、、 のに…。 気づいたら、私の毎日はなんとなく嫌なことと間隙を埋めるための緩衝材でいっぱいになっていた。 なんとなく嫌なこと、たとえば、皿洗い、寒い日に息子と公園遊び、洗濯物を畳む、電話をかける etc... いつの間にか、嫌なことを入れる箱を自分の中