そだてくエッセイ18//退屈って悪者?
退屈が生み出すもの
長い休みの間、どうやって退屈している子どもにたくさんの刺激を与えようかと連日、普段とは違う特別なイベントの計画を立てていませんか?
働いているお母さんは、子どもを退屈させないようにと自分の休みも返上してあらかじめ予定をいれすぎていませんか?
以前、ヤフーニュースで
夏休み、子を退屈させている親は罪悪感を持たなくていいですよ。
というような記事を読みました。
同感です。
特別ではなく、いつもの日常をこなしていくことが子どもにとって安心。
退屈は悪者ではなく、子どもたちの考える力、行動する力になる。
だと思っています。
同じことを繰り返すことはとても心地いいことです。同じだから見通しが立ちやすく安心します。いつもの日常をこなすことは心が安定するのです。
ただ、同じことを繰り返すだけでは飽きてきて退屈になることもあります。長い休みだと、そうでなくても時間を持て余します。子どもの方から「暇~」とか「何したらいいん?」「どっか行こう~」とか言ってきます。
そんなときは、しっかり退屈をさせてあげましょう。
実は「退屈」こそが子どもたちには刺激的で、そこから独創性が生まれ自分で考える力になるのです。そして、行動する力になります。私は何度も「退屈」が子どものパワーへと変わた場面に出くわしました。
子どもたちは「遊びの天才」です。何もすることがないとなったとき、何かできないかと自分から探しに行きます。家にあるものすべてが材料となり、資源となり、遊びへと変化します。少し大きくなると子どもがしたいことにお金がかかるかもしれませんが、それがその子のワクワクや意欲につながるのであれば、可能な範囲でさせてあげましょう。
与えられてばかりでなく自分でみつけるワクワクはきっとその子を着色する重要な色になるはずです。
とはいえ、特別は悪者ではありません。
それでもいつもと違うお出かけはいいものです。特別なことは楽しく感動もあり、それらが積み重なっていくことは大切な経験です。
兎にも角にも家族で一緒に共有した時間はこれもまた大切な宝物です。
やはり退屈はあっていいもの
今コロナ禍の状況の中、不要不急の外出は控え、自粛を余儀なくされ、以前のようにはいきません。いつもと違う特別なことが制限されているという窮屈感のため息苦しさも感じてしまします。自宅で過ごすことが多く、時間が以前よりあると感じているのではないでしょうか。
でも、自粛中に何かを新しく始めたという大人は多いはず。以前時間がなくてできなかったこと。noteだったり、映画鑑賞、読書、オンラインの習い事やオンラインでの資格取得など。「退屈」が何かをしようとする力になり、実際に行動する力になったのです。私もいくつかずっと気になっていたことを始めています。コロナが時間の使い方を変えてくれました。
子どもが「退屈」になっても罪悪感は感じなくていいし、「退屈」にならないように焦って何かを与えようとしなくていいのです。