そだてくエッセイ12//山を遠くから見て思うこと。その子いろは誰のいろ?
興味・関心は誰のもの
あるベテランママから「どうしてあの小さかった時にその子の才能を伸ばせなかったんだろう。どうしてあの時にダメダメと禁止ばかりしてしまったんだろう。」という、その方にとっては後悔であろうことばを以前聞いたことがあります。
その時は、まだ自分にはしっくりとこなくて「へ~。そんなことないですよ。」くらいの気持ちで聞いていたことば。子どもたちが大きくなり、個としてはっきりと好みや興味がこちらに伝わる今、同じフレーズが私の口からもでてきた。
「しまった!取り返しがつかない。」と大げさに思ったわけではないけれど、その先輩ママと同じように何かモヤモヤとした後悔のような気持ちが湧いてきた。すべてを禁止したわけではない。やらせてあげていたものもたくさんある。だけど「これはいいかな」とか「これはちょっとやってほしくないな」、みたいな親メガネで判断していなかったか。そのときの状況や親の都合によって、「今日はごめんね」とか、「今回はやめとこう」「今じゃないかもね」なんて言っていなかっただろうか。
今夢中になっているものも、その子が選んでやっているのだろうか。親が一方的に始めるきっかけを与えたことで、やめるタイミングを逃していないだろうか。実は見えていないその子の興味・関心がたくさんあったのではないか、それを始めるタイミングを逃していたのでは?と後悔してもどうしようもない。気づいたこの時から、その興味・関心を大事にしてその子の何かに没頭できる環境やタイミングは親が整えれるようにしたいと思う。
その子いろは誰のいろ
「子どもは真っ白いキャンパス」と昔耳にしたけれど、本当はすでに子どもはその子の色を持って生まれていると思う。
その子の”持って生まれた色”は、生まれてからのいろんな体験、様々な人との出会いによりさらに細分化し、他の色が加わりもっと”その子色”になっていく。
”その子色”が”親の色”にならないよう。
その子は何色で、これからの人生でどんな色に変化し、どんな色が増えていくのか見届けたい。
特に幼児期に芽生える好奇心・知りたい心・やりたい心やってみる行動力・繰り返し試す力・めげない心。これらを大人の都合で押し込めないようにしたい。
幼児期だけではなく、どの年齢でも興味・関心は芽生えるし、その子のタイミングで始めることができるはず。もちろん親がその子の色に影響してもいいけれど、親の色にならないように、いろいろな色をその子が自分で選択できるようにしてあげたい。
どの季節も山の色は、同じ緑でもよくみると何種類ものみどり。同じ赤でも何種類ものあか。1年を通して色は変化していく。
山の色の変化は、山の中でみるよりも離れてみるほうが何倍も楽しめるかもしれない。
と、山を見て思ったりもする。