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避けることができない人格と人格のすり合わせ

「コミュニケーションは人格と人格のすり合わせ」

----先ずは結婚。

全く違う家庭で育った夫婦は、価値観が違うことに同じ屋根の下に暮らすことで感づく。お互いに様子をみて、伝えて、聞いて、言い合いになったりを繰り返しながら人格のすり合わせをしてきた。はずだ。


----そして出産。

子どもが生まれてしばらくは、まだ親主導という「お世話する」の状態が、その子に人格があるなんてこと想像すらさせない。

ひとりで動けるようになり、言葉を発するようになり、やりとりができるようになってきて初めて、「ひとりの人」に気づく。


----そこから子どもとの人格のすりあわせが始まるのだ。

これは夫婦の間で行われた(現在もおそらく進行中)すり合わせとは、違う様相を呈する。

だって相手はまだ自分よりも上手く伝えることができないから。

コミュニケーションがまだ非言語的な割合が多い時、一方的となりとてももどかしい。言語的なコミュニケーションが成り立ってきた時、双方向となるけれど受け入れることもしなければいけない。


----まだまだすり合わせ作業は続く。

そして、ここで思い出さないといけない。

実はこのすり合わせの作業。3回目であることを。

そう、自分自身も子どもの頃、親とこの作業をしているはずなのだ。物心つくまでは覚えていないけれど、それ以後は記憶に残っている。

何度もぶつかりあった。何度も伝わらなくていらだった。何度も受け入れがたく反発した。時には我慢もしたと思う。そうしながらお父さんはこういう人なんだ。お母さんはこんな考え方だよね。とやっと思えている。

もちろん家族以外の人たちとも「小さな人格のすり合わせ」は繰り返してきた。ずっとつながっている人もいれば、いやになって離れていった人もいる。


----これはもうずっと避けられないのだ。

と、目の前の子どもをただみつめてみた。



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