そだてくエッセイ7//対話について考えてみたら、親子の間に必要なものが見えてきた。
人間の特異的な能力の一つに「ことば」がある。
「ことば」を使って会話や対話をすることで人と人は心を通わせ、わかりあい、ぶつかりあい、好きになり、嫌いになる。それらを伝えようともする。
ことばを書いて文字にするのか、ことばを直接話すのかでも大きく印象は変わったりする。
特に「親子の会話」は、子どもがまだことばを発していない時から始まっていて、とても大切なことは言うまでもない。年齢がすすむにつれて「親子の対話」が必要となる時がある。しっかりと向き合って意見を言い合うことだが、これがなかなかうまくいかない。
対話の役割
「安全感を高める」「考えを練り、高める」
と、対話の大きな二つの役割をある心理学者が説明していた。
ことばのやりとりの中で、受け入れられている、ここなら大丈夫という感覚は確かに必要だ。親しい家族には、対話でなくても普段の会話だけでそう感じているかもしれない。家族以外の人と会話をするとき、相手への安全感アンテナをはり、この人にはどこまで話していいかとか、次もこの人と話しようかとかその場で判断していることは多い。
会話ではなく対話となった場合、相手とは価値観や考え方が違うからこそ対話ができるし、違うことを知ることで自分の頭の中を再度確認することもできる。
考えを練り、高めることは、潜在的に人によっては意識的に行っている。自分の考えを整理し、足りなければ情報を欲しいと思う。その場で伝えきれなければ、一旦時間を置き、本を読んだり、ネット検索したり、誰かに聞いたりしながらより相手に伝えやすくする。相手にわかってもらいたいし、伝えたいからだ。
特に議論する場合、互いの価値観や考えが違っていても、その違いをめぐり対話をすることで、考えを練り、高めていくことができる。状況により、わかり合うというよりは、自分を正当化することや相手を否定・拒絶するための対話になることもある。ただ相手を言い負かすためだけに議論することもあるかもしれない。
対話の役割を果たすのに必要なものは?
対話をしてお互いをわかり合うために何が必要だろう。時に議論になったとしても、結果安全感を得ることができるのにはどうしたらいいのか。もし自分が相手の立場ならどうして欲しいだろう。
「安全感を高める」ためにも、「考えを練り、高める」ためにも「傾聴の姿勢」がとても大事なのではないかと思う。
よくママ友と話をすると、悩みを一通り聞いてくれて安心することがよくある。そうすると今度はママ友が悩んでいる時、聞いてあげたいと思う。アドバイスしあうこともあるけれど、実はすでに答えを持っていて聞いてもらうだけを求めているときもよくある。
まず聞いてもらえているという安全感。受け入れてもらい、認めてもらえているという安心感。自分の気持ちが言えるという充実感。
子どもと毎日のように会話・対話する親にも「聴く姿勢」はとても大事だと感じた。