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「わたしが好きなわたし」って何だろう?
新年あけましておめでとうこざいます。
こもです。
わたしの2020年の目標は「わたしが好きなわたしになる」。
これは所属しているコルクラボのキャッチコピーをもとにしたもの。
(ラボのコピーは「あなたが好きなあなたになる」)
コルクラボに入るとき、
「わたしが好きなわたし」ってすごく素敵な言葉だと思ったから、
2020年のなりたい姿はこれだ!と決めたのだけど、
見過ごせない問題がありました。
「わたしが好きなわたし」ってどんな姿?どんな状態?
そもそもわたしが好きなものってなに…?
自分の「好き」が分からない。
でも、自分の好きが分からない人ってけっこういるんじゃないかな。
わたしが考える「好きが分からない」理由は2つ。
①好きと嫌いに鈍感
②好きの言語化不足
そんなわたしの好きの見つけ方をご紹介します。
①好きと嫌いに鈍感
「好き」「嫌い」という感情をおろそかにしていると、
何が好きで何が嫌いか分からなくなってしまう。
だから「好き」の感度を高めるのってすごく大事です。
感度を高めるには、感じる機会を増やすしかない。
好きも嫌いもちゃんと「感じる」をやってみる。
たとえばレストランで、
「この味は好き」
「この野菜は好き」
「この食器は嫌い」
「壁にかかっている絵は嫌い」
と、いちいち「好き」「嫌い」を感じるようにすると、
感度は上がるんじゃないかと思います。
でも、ちょっと面倒くさい。
この「面倒くさい」が感度低下の要因なんです。
以前に読んだ本に「脳は怠け者で省エネ」と書いてあったのですが、
「好き」とか「嫌い」とかいちいちジャッジするのって、
脳にとってはすんごい面倒くさいこと。
だから、わたしたちは気を抜いていると「好き」と「嫌い」に
鈍感になる生き物なんです。
「なに食べたい?」に対して
「なんでもいい」。
「どっちがいい?」に対して
「どっちでもいい」。
は、脳の省エネで心の鈍感さを増すだけのこと。
「どちらでもない」=不感の状態が少なくなれば、
好きの感度が上がるんじゃないかなと思っています。
というわけで、
今日から「なに食べたい」「どこ行きたい」に対して
「なんでもいい」「どこでもいい」は禁止にして、
食べたいもの、行きたい場所を明確にしよう。
②好きの言語化不足
なんとなく好き、がわたしは多いです。
好きなものはたくさんあるんです。
映画、読書、落語、おしゃべり、散歩、喫茶店・・・
でも、なぜ好きなのか、を問われると
とたんに困ってしまう。
なぜ好きなのかを考えたことがなかったから、
なんとなく好き、が多くなるんです。
なぜ好きか、の答えは、
コルクラボの佐渡島さん曰く
「好きの解像度をあげる」ことで解決します。
好きなものを要素分解して、具体と抽象を行き来すること。
それが解像度をあげる、の意味だとわたしは理解しています。
要素分解と具体化、抽象化をするには、
言語化が必要です。
マンダラチャートやオズボーンのチェックリストのような
アイデアのフレームワークを参考にしながら
ノートに対象物の要素分解を書き出したりしています。
わたしが好きなわたしとは?
まだぼんやりだけど、わたしが心地よくて、楽しいな、と思えるのは
・わたしがリラックスしている
・わたしの好きなものについて誰かと共有・共感する
・わたしの好きなものによってみんなが幸せ
という状態。
その状態にするために、なにをするのか、
具体的なDOはこれから考えます。
まだ目標にまで落とし込めてないけど、
2020年の生き方方針表明でした。
またね〜。