millenium parade×椎名林檎「W●RK」の歌詞を読んでいたら仏教の深淵に到達した話
こんにちは、ずーさんと申します。
きょうの昼下がり、僕はいつも大好きな椎名林檎さんが歌う、
millenium parade×椎名林檎「W●RK」新曲の歌詞カードを読みました。
「これって歌詞はどんな内容なんだろう?」
軽い気持ちで開いたのですが…
気が付くと僕は、仏教の深淵をさまよう孤高の求道者と化していました。。
歌詞の内容は深く濃密で、めちゃくちゃ凄い曲なので、長文になりますがバックグラウンドとともに詳しく解説していきます!
0.難解すぎる歌詞カード
まずはミュージックビデオがこちら。
めっちゃめちゃ良いですよね。
この曲は、2023年春 アニメ『地獄楽』オープニングテーマの制作を依頼された常田大希が、椎名林檎とタッグを組み書き下ろしたロックナンバー。
常田大希の編み出す攻撃的なトラックも本当にカッコいいですが、今回 注目したいのはやはり歌詞。
2人の作詞した「歌詞カード」が公式HPに公開されているので…ご覧ください。
……………読めなくないですか!?
名詮自性、伽藍、此方人等、煩悩菩提、云えず了い、嘗て犯した科、玉響果敢ない…。
漢字の読み方から戸惑ってしまう難解な言葉の数々。
色んなことを調べて分かった事には、この歌詞にここまで難しい言葉が多用されているのには理由がありました。
「大乗仏教」の価値観が、この曲のメッセージの根幹を成していたんです。
1.歌詞に見える大乗仏教の世界観
①実態がない私達の"命"
「W●RK」は椎名林檎のこんな歌声で始まります。
我々の大切で唯一無二の"命"。それが変幻自在であり、実態がないなんて、一体どういう事でしょうか?
実はこのフレーズは、「色即是空」(しきそくぜくう) という、大乗仏教(中観派)の思想から来ています。
「色」(しき:この世の全ての物質や現象)
はすべて、
「空」(くう:実態がない)なのだ!
という事です。
例えば筆者の僕(ずーさん)の身体を例にとって考えてみましょう。身体は変化などないように見えて、実は毎日少しずつ細胞が入れ替わっています。
生き物は新陳代謝をしないと死んでしまいますから、毎日新しい栄養を体に取り入れ、古い細胞は、汗や涙、おしっこなどの老廃物として体外に排出しているんです。(皮膚って約1か月で全て新しい細胞に入れ替わるそうですよ!)
その老廃物は蒸発していつか雨になって、どこかで草木を育てます。なんと僕の身体の一部はどこかの畑でレタスになってしまいました。そのレタスをまた別の誰かが食べると…、なんと今度は僕の身体の一部だった物質が他人の身体に取り込まれてしまいました!
そんな感じで、この世の物質はすべて絶えず変化していて、お互いに影響し合うことで存在を保っています。
人の性格や価値観も同じで、読んだ本とか、友達家族に言われたことを日々取り入れたり忘れたりして、僕らの心は常に変化していますよね。(この関わり合いのことを仏教では「縁起」と呼びます)物質も現象も、関わり合いの中で形を為すものなので、不変の実体はありません。ずーっと変わらない人なんていないんです。
これが「色即是空」の教えです。
だから椎名林檎は、「♪変幻自在の命」「♪実態がない分 まだ出来損ない」と歌うんですね。出来損ないというとネガティブな表現に聞こえますが、ここでは「まだ未完成=将来さらに良い人間になれる可能性を持ってるぜ」と自らを鼓舞する意味合いで使われていると思います!
②名は体をよく表す
続く歌詞に出てくる「名詮自性」もこれまた仏教用語。
「物の名前が、その物の本質を表している」という意味。慣用句で言うと「名は体をよく表す」という事です。
例えば「ぬいぐるみ」という商品は、布を「縫って」綿を「くるんで」作るから、そう呼ばれるようになったわけですね。
逆に物質が、与えられた名前に影響を受けて性質が変化することもあります。
「敏腕社長」「JPOPの革命児」「血も涙もない人でなし」「歌舞伎町の女王」…
人は社会の中で、こうした「通り名」「悪名」を得ることがあります。名付けるのは大抵、周りにいる噂好きの他人なわけですが、
呼ばれる側も、毎日そのあだ名で呼ばれていると、無意識にあだ名どおりの行動をとるように性格が変化していってしまう場合があるという意味なんですね。
つまりここの歌詞は、「あいつが次の"歌舞伎町の女王"になる女らしいよ」「あいつが”Jpopの革命児"らしいよ」そんな周囲からのわずらわしい"噂"も、それごと吸い取って、実際に自分の性質に取り込んでしまえという事を歌っているんです!
そのうえで、自分の人生の本懐(本当の望み)を叶えた先(死後?)に待つ世界が見たい。そんな事を歌っているんだと思います。カッコいい。
2.アニメ「地獄楽」の世界観
このように「W●RK」冒頭の歌詞には、椎名林檎が長年したためてきた「仏教思想」の世界観が詰まっていましたが、
1番Aメロに入ると、今度はアニメ「地獄楽」と強烈にリンクした一節が飛び出します。
アニメの物語は江戸時代末期。主人公「画眉丸」は、かつて最強の忍とおそれられた男。大勢を躊躇なく殺し 血も涙もないことから、"心ががらんどう"=「がらんの画眉丸」というあだ名で世間から怖れられていました。
「がらん」は元々お寺の建物や修行のための空間を指す言葉。そこから「がらんとした」という慣用句が生まれました。
(そんなあだ名がつくなんて、まさに名詮自性ですね!)
画眉丸は一度 役人に逮捕され、処刑されそうになりますが、そこで「危険な島から”不老不死”の仙薬を持ちかえれば無罪放免」という政府からの任務を請け負い、謎深い冒険の旅に出ることになります。
「W●RK」Aメロの歌詞は、命がけの日々を過ごす画眉丸を描いているようです。
色即是空の考えに立てば、人間の五体は日々変わり続け、いつ死ぬかもわからない「空疎な存在」。そんな「伽藍の空疎な五体」を「使い捨て」て、画眉丸は命がけの冒険をします。
任務を請け負わなければ死刑、危険な島で戦いに負けても死。危険な島でもし仙薬が見つからなくても、やっぱり…死という結末が待っています。
それでも「妻に再会する」という目的を胸にポジティブに冒険に向かう画眉丸の姿勢は、まるで未来の結末に向けて俗世を楽しんで生きる「まえ祝い」のようです!
その続きのAメロの歌詞は、戦い続ける画眉丸の姿勢ともとれますし、ヒットメーカーとして新曲を出し続けなければならない椎名林檎・常田大希 双方の内心を表現しているようにも思えます。
そう、この曲を構成する3つめの要素は、椎名林檎と常田大希という天才2人の苦悩なのです。(3へつづく)
3.常田&林檎の音楽家としての世界観
①長年交流があった2人
常田大希と椎名林檎は、実は10年以上のお付き合い。
2012年頃、当時20歳の常田大希のアマチュアライブを、なんと偶然 椎名林檎が見に来てくれたことがあったそう。(すごい…!)
その際に連絡先を交換した常田は、椎名林檎に直接連絡をとり、時々 自作のデモテープを聞いて感想を貰うようになったそうです。
その後、2019年には常田も自身のバンドKing Gnu「白日」で大ブレイク。
巨頭2人の交流は深まり、その年(2019年)から、何と遊びで共作楽曲を作り始めたんだそうです。(そのうちの1曲「2○45」は「W●RK」カップリング曲として5月17日にリリース予定だそう。そちらも早く聞いてみたい…!)
そして今年、「地獄楽」アニメOPテーマ制作を依頼された常田。物語の世界観を表現するにあたりふさわしい共作者として、椎名林檎に声をかけ、このコラボが実現したようです。(↓参考記事)
そうして完成した「W●RK」。歌詞には「地獄楽」の物語にふさわしいメッセージと、2人の音楽に向き合う苦悩がないまぜに描かれています。
②常田の「苦悩」を表現したBメロ
「W●RK」1番Bメロ。けたたましい黒電話のSEとともに、常田はこう歌い始めます。
ここは筆者(ずーさん)の解釈ですが、もしかすると常田大希がインディーズ時代、抱えていた苦悩が描かれているのかなと考えています。
数年前、インディーズ時代の常田さんはブレイクを目指して、アルバイトを続けながら各地で音楽ライブを行う日々を過ごしていました。まるで「堂々巡りの最中」。「労働鼠」のように、振り込まれた給料を銀行から引き出して(「Pay Back!」)。
それでも名曲を作り出すため、「One Verse」つまり曲の一節に「One Punch」、人を感動させる一撃を加えようと作曲を続ける毎日。
「将来どうなって行きたいですか?」などと取材で問われれば時には大きな夢を、時には綺麗な嘘を(「AnswerにはFantasyを」)。そんな気概でいた下積みの日々の心情を、黒電話の電話相手に吐露しているのではないでしょうか。
その後 常田さんは組んでいたバンド名を「King Gnu」という名前に改名。2019年「白日」で大ブレイクする事になるのですが、このバンド名には、「動物のヌーが仲間を増やして大きな群れになっていくように、ファンを増やして大きな存在(メジャーアーティスト)になっていきたい」という決意が込められていたのだそうです。
最後の「Stand up my fav people(立ち上がれ同胞達)」は、まさにその願いと共通するフレーズだなと感じます。
③2人の関係性を表す1サビ
この歌詞は、デモテープを送っていた当時に常田に対する、椎名林檎側の返答のようです。
椎名林檎「試しに(新曲のデモテープを)聞かせてくれ、(常田くんが)一層蓄えた技(音楽的技法)を」
椎名林檎「(私の楽曲も聞いて感想をくれ) 計ってくれ。(常田の)真新しい腰挿しで(若い感性で)」
椎名林檎「(ギターを)弾いてくれ。こちとら私も四面楚歌(頼める人が少ないのよ)」
もしも2人の間でそんな言葉が交わされていたならすごく素敵ですよね…。
4.三つの世界観は共鳴し混ざり合う
こうして1番までで、この曲の歌詞を構成する三要素(仏教・アニメ・作詞者本人)が出揃いました。
それ以降の歌詞は、3つの要素がさらに混ざり合い、ひとつに昇華されてゆきます。
①歌の主人公は画眉丸であり林檎
2番前の間奏です。火線というのは戦場において、直接砲火を交える舞台最前線のこと。
アニメ主人公(画眉丸)の感情としては、「処刑されそうになったり屈強な死罪人と戦ったり、毎回戦いの最前線だぜ」という意味になりますし、
椎名林檎の感情とすれば、「ヒットチャートに新曲を送り出すのは毎回シビアな戦いよ」と読み解けます。二者の境遇が重なって聞こえてきますね。
②煩悩はあってOK!
その後の歌詞に出てくる「煩悩菩提」とは、やはり大乗仏教用語。
正確には「煩悩即菩提」というそうです。
■煩悩=この世の苦しみを生み出す原因。欲望・怒り・愚痴など
■菩提=煩悩から離れた悟りの境地・幸せ
煩悩菩提とは、簡単に言うと「煩悩は、抱えていればそのまま菩提(悟り)に転ずる可能性がある」という意味。
「…え!なんで? 煩悩を全部捨てないと、悟り(菩提)には至れないんじゃないの?」と反論する人もいますよね。
確かにそうです。上座部仏教(よりストイックな仏教流派。東南アジアで主流)の考え方では、人は出家して「四諦八正道」と呼ばれる超ストイックな修行を終えることで、自分にまとわりついている全部の「煩悩」を振り払い、ようやく輪廻の輪を”解脱”して極楽浄土で悟りの境地に至れるとされています。本当~に厳しいルールなので、例えば画眉丸のように煩悩に負け殺人罪を犯した者は、以後どんなに修行をしても極楽浄土へは行けません。
でも実は大乗仏教(日本・韓国・中国など東アジアで主流の仏教)の教えでは、そうではないのです。
日本国内でメジャーな仏教流派のひとつ、浄土真宗の開祖 親鸞は、人間を「煩悩具足の凡夫」と表現しました。つまり、我々一般ピープル(=凡夫)というものは、その構成要素100%が煩悩なのだ!という意味です。
雪だるまから雪をとったら何も残らないように、煩悩があるから人間として存在できているんですね。つまり、煩悩が無くなると個人の意思とか命も消えてしまうので、当然 "菩提"(悟り)に至ることはできません。
むしろこれまでの煩悩や苦しみが多かった人ほど、あとで悟りの境地に至った際にはそれが大きな喜びに変わるんだそうです。
まるでトランプの「大富豪」で3とか4(≒煩悩・出すのが苦しいカード)を持ってると、「革命」(≒悟り・救済)が起きた時により幸せになれるようなことですね。もしくは渋柿でもたとえられることが多いみたいです。(渋い柿ほど干せば甘くなる)
大乗仏教においては、教えに気づいた時から一生懸命「周囲のためになる行動を尽くせば」よいとされています。犯罪経歴のある人間であっても、改心してしっかり社会のために尽くせば"菩提"に近づける可能性があるんです。
つまりこの部分の歌詞で歌われている「煩悩菩提です 恥とよく抱き抱え」
とは、「煩悩は持ったままでも菩提に至れるチャンスがあるもんね~!」というある種の開き直りです。
「妻にもう一度会いたい」「大ヒットしてファンから尊敬されたい」「自分が死にたくないから襲ってきた相手を殺しちゃった」…、
こういった欲望や煩悩を滅したり、過去の罪悪感に押しつぶされる必要はなく、そのまんま抱きかかえて生きていてよいのです。
③林檎の「苦悩」を表現した2番
2番Aメロではサウンドががらっと変わり、次のように椎名林檎の独白が始まります。
10代から大人気スターとして生きてきた椎名林檎が吐露する、「普通の暮らし」への憧れ。
実は椎名林檎は2014年に、インタビューでこんなことを語っています。
それに共鳴するように、2番Bメロでは常田も「売れた後」の苦悩を吐き出します。
2020年、コロナ禍に入った頃、音楽ライブは批判の砲火に晒されました。
「音楽なんて不要不急だ」「あんなの遊びだろ」
そう言われたことへのミュージシャンとしてのやるせなさが「本格派の道楽家」という表現に表れます。
世の中もコンプライアンスがぐっと厳しくなりましたよね。「歌詞にしちゃダメなこと」「お客さんにコール&レスポンスを煽っちゃいけない」など…。
そうした状況で、椎名林檎や常田大希をはじめ、多くのアーティストが挑戦をしづらくなり、歌詞やサウンドも無難な形で制作を済ませる傾向が、もしかしたらあったのかもしれません。
そしてその時に、常田大希はこう感じたのかもしれません。
「丁寧に(炎上しないように)100%の実力じゃない新曲を作って、それをファンに届けるなんて、逆に失礼じゃない!?」と。
「慇懃尾籠」とは、「丁寧すぎて逆に失礼になること」という意味。
常田は椎名林檎に(または自分自身に)呼びかけます。
『僕がずっと尊敬してきたSexyでCoolな音楽を作る椎名林檎さんよ(=性行為の伝道師)、本当は革命的な音楽を作る「Play Boy」なはずなのに、最近「正常位」ばかりじゃねぇか! 無鉄砲にやってくれよ。俺が大好きな人達よ(Stand up my fav people)!』
そしてその声に目覚め、椎名林檎は心の中の炎を取り戻したのかもしれません。
「Right Now!」
椎名林檎が低く野性的な声で呟いたのを皮切りに、常田大希の気が狂いそうなほど激しくて、革命的で、ロックなギターソロが楽曲に鳴り響きます。
2人が抱えていた煩悩とは、きっと
「音楽の道を選んでしまった後悔」
「炎上や批判を恐れ無難にまとまろうとする弱い心」。
そんなスターミュージシャンだからこそ共感しあえる孤独な感情を、お互いに吐露しあい、励まし合うことで、2人はこの暗く辛い数年間を乗り超えてこれたのかもしれません。
④【結論】この世のすべては自分自身
そして、最後のサビです!
これは完全にアニメ「地獄楽」の画眉丸を描いていますね。
画眉丸はかつて犯した"殺人"という大罪を償うために極楽浄土と噂される危険な島で冒険を始めます。そこは殺人/奪い合いなんでもOKの、これまでの常識が一切通用しない、「真新しい良し悪し」で物事が測られる無法地帯でした。
それでも画眉丸の思いはまっすぐに変わりません。
「どうせ助かったのなら、生きのびて帰って、愛する人(妻)とともに慎ましやかに生きていきたい」つまり、自分が今までは味わえなかった"普通の暮らし"という「この世の絶景」を、愛する人との関わり合いの中で見出したいという願いなのではないでしょうか。
そしてこう考えると、"普通の暮らし"に憧れるのに"異常な冒険"をし続けなければいけないという点では、画眉丸も椎名林檎も常田大希も願いが一緒なんですね。
(そしてもしかしたら、思い描く暮らしがあるのにそこに辿り着けていない労働者の私達もまた、同じかもしれません)
ラストサビに続いて、こんな歌詞が歌われます。
内容は、これまで歌詞の中で登場した「色即是空」「煩悩菩提」の概念が導き出す、結論そのもの。
「疎んでいた迷い」=消し去らなければならないと思い込んでいた"煩悩"さえも、
「大自然の自分自身」=結局は自分を自分たらしめる要素なのです。
人間は誰もが一人で生きて行けず、煩悩を抱えたまま存分に他者と関わり合い、この有機的な世界を成立させています。
さらに言えば、「色即是空」つまり「この世のすべては流転していて、確かなものなどひとつもない」という考え方に立ってみれば、私はあなたであなたは私。
「椎名林檎の流した汗も蒸発して雨になって野菜を作って、いつか僕の身体に取り込まれる可能性があるのだから、理論的には僕と椎名林檎の間に確たる境界線はない」ということになります。(笑)
大乗仏教で「周囲のために尽くせ」と教えがあるのは、こういう考えに基づくからなんですね。周囲の人間と自分の間には本当は境界線がない。周囲の人間を助けることは、自分を助けることと同じなのです。
同じように、
「煩悩と菩提、女と男、正しさと間違い、生きている状態と死んでいる状態」
など、対極と呼ばれるこれらの概念もまた、永久に不変ではなく、実は絶えず状態がひっくり返る可能性を持っているという事です。
この歌の主人公はその真理に気づきます。
「苦しさ」も「喜び」も
「迷い」も「決意」も
どちらか一つを悪い要素と決めつけて無理に自分から排除しようとする必要はありません。
全て同じものとして、ありのまま自分の人生に受け入れてしまえばいいんです。
歌詞の世界は、最終的に、「お前はお前のままでいいんだ、迷わず進め」
そんな、ポジティブなこの世の真理を導き出しました。
ちなみにこの歌の部分は、「女と男」という対極にある林檎と常田の掛け合いで歌われます。そして最後「両極の間 結合して甘んぜよ」の部分で、2人の歌声もまた同じ歌詞に辿り着き、混じり合うのです…。すごすぎる!
5.歌の"主人公"は未来へ進む
この曲の最後の一節です。
①鼓動がはかないという喜び
最後の1行、なぜ「鼓動がはかない」のが万歳なのでしょうか。
■玉響(たまゆら)=勾玉がこすれて鳴るかすかな音のこと
■果敢ない(はかない)=頼りないこと、淡くて消えやすいこと
僕らの悩み、仕事、生み出す作品、それら全てのパワーを生み出す源=心臓の鼓動ですが、胸に手を当ててみると意外なほど音が小さい事に気づくと思います。
人間はいつ倒れて死ぬかわからない。画眉丸もいつ誰かに首を取られるかわからない。命ははかなく、絶対的なものではありません。
でも、その悲しい事実こそが、「色即是空」という概念が正しいことの何よりの証明なんですね。
「僕らは、今ある命が頼りなく一瞬のものだと知っているからこそ、良い来世に辿り着けることを夢見て、今を善いものにしようと頑張れるんだ。」
最後の歌詞には、歌の主人公が真理に辿り着いた喜びが、歌われているのではないかと思います。
そして「歌の主人公」とは、画眉丸のことであり、椎名林檎であり、常田大希であり、究極のところ、この曲を聞いている僕自身、あなた自身でもあります…。
どうでしょうか?
歌詞を読み解くとなんだか明日からも、
この曲聞いて頑張れる気がしてきませんか!?
僕はめっちゃなりました。(笑)
大変長くなりましたが、
以上が私ずーさんによる歌詞解説です。
読んで下さったかた、本当にありがとうございます!
(まだ始めたてでフォロワーが少ないので、よければフォローもお願いします^_^)
▼Youtubeで「W●RK」サウンド面のすごさも解説してます!
そして、、
数多の煩悩を抱きかかえたまま
こんな素晴らしい楽曲を作ってくださった
常田大希・椎名林檎という偉大な天才のお2人に…万歳。