機械式と過ごす-2 [オーバーホールで永く使う]
機械式カメラと過ごすことは、彼らを知ることだ。
私は毎日彼らを手にとり、一通りに動かしてみる。
とにかく用が無くとも、手にとってしまう。
調子が渋くなってくると、ある時ふと気が付く。
大抵は、おもむろに彼らをまじまじ眺めた時で、
異常というのは、レンズやファインダーのちょっとした曇りやシャッター音の変化、巻き上げの重みであったりする。
機械式のカメラは、彼ら自身の調子について雄弁である。
電子制御式のカメラがそうではないとは言わないが、
機械式のカメラは私が関心を持つ限り、重要なことは大抵示してくれる。
何よりよほど、突然に修理不能な故障を起こし、私を置いていったりしない。
オーバーホールを依頼し、数か月もすれば彼らは手元へ戻ってくる。
最初に手にして、巻き上げ、ファインダーを覗き、ヘリコイドを回す。
そしてシャッターを切る時がたまらなく好きだ。
大抵の場合、想像を超えてくる。
存外に疲れていたのか、と思ったりもする。
気の利いた修理工房だと、分解した様子の写真も合わせて、つぶさに説明してくれる。
なんと文字通り、彼らの腹の中を覗き、内臓の動く様子をも知ることになると、思いがけず親しみがわく。
また一つ、詳しくなった。
少し調子のよくなったカメラが帰ってくると、また今まで通りの毎日が続く。
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サムネイルのカメラは、今年の5月に約10年ぶりのオーバーホールから帰ってきたばかりです。
巻き上げやダイヤルの動きは滑らかに、ファインダーの薄曇りも取れ、良いリフレッシュとなりました。