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暗い玄関先の記憶 -救えなかった友の物語-
E君は私の小学校1年で初めてできた友達だった。
彼とは近所で、登下校も放課後もいつも一緒だった。
近所に他に友達がいなかったのもあったかもしれない。
当時は、工事現場?とか土手で遊びに行っては、大体私がしょうもない怪我をして、母に怒られるというのが日常茶飯事だった。逆にE君は運動神経が良かった。彼の親はオリンピックにも関係したアスリートだったらしい。私だったら、親がそんなすごい人だったら自慢したくもなるが、彼は平静でそう言ったことを覚えている。
そんな私が頭をぶつけて血を流して帰った時は、母はたいそうびっくりしていた。
釘が前腕に刺さって作った切創も、私が医療機関に行きたくないとゴネて、そのままになったが、審美的な面からこれは今はお勧めしない。当時の瘢痕は今もしっかり残っている。
道に落ちていたエロ本を2人で見て、それを地中に埋めて隠しては、また帰り道に見る…そんなこともよくしていた、いい思い出である。
E君は、やや細身で、早生まれの私より少し背が高く、活発な少年だった。服はいつも首元の伸びたTシャツを着ていて、少し摩耗していた。
同じ服をよく着ていた。
だが、当時はそんなに気にならなかった。
天気が悪い日は私のうちで遊ぶことが多かった。
小学1年生のとき、スーパーファミコンを買ってもらい、よく遊んだ。E君が家に来ると、母はおやつを出してくれたが、E君はとてもよく食べた。大体、足りなくならないように多めに出すものだが、それでもE君はよく食べていたと思う。ただ、出されたもの以上を要求することもなかったし、さわやかに「ご馳走様でした」というので母親も悪い気はしていなかったらしい。
小学3年になって、私の家の近所に転校生が来た。彼はI君といい、イケメンでスポーツ万能、親御さんも建築士か何かで裕福な家庭だ。転居して戸建てに住んでいたのだが、賃貸マンション暮らしの私にはそれが新鮮で、彼と仲良くなると、彼の家に行くのが楽しみだった。
I君と私は、ドッジボールや走るのが好きという共通の趣味がありすぐ仲良くなった。I君に誘われて地域の少年野球チームに入った。
これを機に平日放課後はキャッチボール、土日は野球の練習になり、E君とはますます疎遠になっていった。
ある日、母がたまたまE君と会ったとき、「最近、僕と遊んでくれないんだ…」と、こぼしていたと、母が私に言っていた。
しかし、なぜだかそう言われてもE君と遊ぶ気になれなかった。かわいそうとか、そう言う気持ちではなかったと思う。
その一方で、私は同じ野球チームの子と遊ぶことが多かったが、そんな彼らも平日は中学受験のため予備用や勉強をするようになり、私は取り残されたような気分になった。当時、平日は公文に通っていたので、同じ公文に通う友達と仲良くなった。
いつのまにかE君のことは考えもしなくなっていった。
たまたまだと思うが、同じクラスになることもなかったし、E君と話すきっかけもなかったと思う。
小学6年の春くらいだろうか、I君や他の野球チーム仲間と同じ予備校に入ってみたが、問題が難しく、宿題をこなすことも相当辛かった。辞めたい気持ちもあったが、塾の帰りに、コンビニに寄って安いお菓子を買って数人で話す時間が楽しくてなんとか続けていた。
小学6年の秋、地元の中学に通う予定で物品を色々揃えて、みんな同じ中学に通えることに喜びを感じていた。中学でも野球を続けるか、なんて話もしたが、正直私はそこまで野球のセンスはなかったし、地域の選抜チームの合同試合の際、センス溢れる人たちばかりで、スタメンにも選ばれず、ベンチを温めてばかりだったため、「野球はもういいかな」と思うところがあった。これが、人生で一つ目の大きな劣等感と挫折である。このあと2回ほどあったがこれはまた別の機会に。
冬になって、親から春に転居することを伝えられた。
友達と同じ中学に通えなくなった。
せっかく揃えた、通学カバン、体操着など返品になった。
ただ、友達の誘いに気乗りしなかった野球部に入らなくて済むとホッとした部分もあった。
中学になって程なくして、E君の親が逮捕されたニュースが全国ネットで流れていた。覚醒剤だった。マスコミは元アスリートの転落を謳った。故意に面白がってなじる言動に吐き気がした。
いつもだったら、ニュースなんて気にも留めないくせにこの時ばかりはいろんな感情が込み上げてきた。
と、その時、私がE君を避けていた?理由を思い出した。
いつもE君は自分の家に私を招こうとしない。
しかし、そんなE君の家に一回だけ入ったことがあった。彼の家の前まで迎えにいったとき、忘れ物をとりに行くと、一旦外に出た彼が家に戻ったが、私がそのまま着いて行った。彼も仕方なく私を家に入れたが、その家が遮光カーテンのせいか昼間でも暗く、じめっとして、とても散らかっていた。玄関までしか入らなかったが、そこから続く廊下や奥に続くリビング?も不気味であった。やや吐き気がした。気持ち悪くなった。
五感が拒絶する感覚を初めて味わった。
そうか、私の方からE君を避けていたのだ…
その瞬間、とてつもない罪悪感と、彼は無事なのだろうかという心配の念が膨れ上がった。
しかし、それを確認する術はない。
**
これが私の小学校時代の後悔である。
当時からE君の親が薬をやっていたかはわからないが、彼を救う方法があったのではないか
思い返してみれば、彼からのサインはたくさんあったのに、それを一つも拾うことができなかった
向き合おうとしなかった
親ガチャという言葉もあるが、私からするとE君にとっての友達ガチャが私という存在によりハズレだったのではと思う。
E君を思うと今でも胸が締め付けられる。
「本当に助けが必要な人は、助けたいと思う姿をしていない」と言う、人がいる。
しかし、私にとっては、
本当に助けが必要な人は、しばしば自分から「助けて!」って言えない人である。
と思う。近い存在だった友達…でも距離が近すぎて逆によく見えてなかったのだろうか。
この胸のモヤモヤはこれからも色褪せることはないだろう。