見出し画像

2020年の短編映画は。

映画が完成しました。
2020年12月31日に、2020年内ギリギリです。
タイトルは『ten』といいます。

このコロナ渦の中で、どんな映画が作れるのか。
色々と考えながらシナリオをいくつも書きました。
緊急事態宣言中の6畳一間の父娘の話。在宅勤務に耐えきれない自宅デスクの文具たちのアニメーション。鍋パーティに野菜の客人がやってくる話。などなど、色々と書きましたが、中でも、物語というよりもコンセプトムービーっぽいシナリオだったのが、今回作った『ten』です。

この『ten』のトップシーンは、この10年ほど、自分の脳裏の片隅にどうしても撮りたい風景としてこびり付いている景色です。
これを撮りたくて映画にしたと言っても過言ではありません。
「忘れられない風景をどうしても撮りたい。」
これが今回の動機です。

そしてなぜコロナ渦の時代にこれを私が選んだのか。
新型コロナが流行って緊急事態宣言が発令されました。2020年の4月に。
その時に映画館なども閉鎖されて映画製作者たちが色々と動き出していました。私は「単館映画館を守ろう」というクラウドファンディングに寄付したりしました。そして、そんな中で聞こえてきたのが「ニューノーマル」という単語です。その言葉に私はなんか悔しさを感じたんですね。「新しい日常」って、東京という地区が危機になって自分たちが当事者になって、やっと出た言葉。やはり当事者にならないと人って動かないんだな、というのを実感しました。
東日本大震災が起きた時、私は当事者でした。
今は被災者ではありません。発生当時は、という限定的です。
その時に感じていた言葉が「日常が非日常になり、その非日常の中で過ごしていると、その非日常が日常になっていく」という言葉です。
そんな衝動の中で作った映画が『ten』です。
「福島県には、元日常が、時が止まったまま存在する場所があるんだよ」という問いかけの意味も入っている作品です。

そして、この土地で、コロナ初年度に作る作品、それは、
「新型コロナが蔓延する世界と放射能に汚染された世界」
というコンセプトで描かれた映画になります。

さて、
「よっしゃー!今年も映画を作るぞ!」と動きだしたものの、この新型コロナの流行。さて、どうやって作る?
自主映画ですが、お金がかかっても仲間とは一緒にやりたい、と思ってプロダクションに相談してみましたが、断られました。そりゃそうです、売上が激減しているのに、人の自主映画にかまっていられませんよね。
なので、いつも一緒に作品を作っているカメラマンにシナリオ送って誘いました。そしたら「いまの世の中で作りたい映画じゃないです」と断られました。そうなるかー、とこれにはけっこう落ち込みましたね。

いったんは制作を諦めて別のシナリオを書いたりしたのですが、やはり諦められないのです。この『ten』をどうしても作りたい。なにかうまく説明はできないけれど、『ten』には根拠のない自信を感じているのです。
こんな名もしれないFilm Directorなんてチャレンジしなければ成功はありません。やるしかないのです。

夏になると地味に仕事が動き出して、ゆっくりと忙しくなっていきました。
このままでは世間に流されて「作らない」っていう言い訳をしてしまいそうです。
ダメ元で学生時代の友人にシナリオを読んでもらいました。鹿島秀憲さん、彼は茨城県でフォトスタジオを開いていて、学生時代は映画学校の撮影コースで学んでいます。そんな友人がシナリオを面白がってくれて、一緒にやろう、と言ってくれたんです。20年ぶりに一緒に作品作りができることがとても喜ばしく、何でも手伝うよ、と言ってくれたことが何よりも嬉しかったです。

そこからが急展開。キャスティング、撮影日程調整、小道具制作、諸々を全て自分一人でやらなくてはなりません。
主人公を誰にするか。いつも一緒に作品作りをしてくれるプロデューサーにイメージを伝えたら、一人の役者さんを提案されました。木村知貴さん。早速シナリオを送ったら「飲みましょう」という返事がきました。
ガラガラの新宿三丁目。安居酒屋で二人で、初対面なのにすぐに打ち解けて5時間近く話し込んでしまいました。木村さんの印象は「策士だのぉ」です。映画がグッと面白くなりそうでワクワクしました。
出演者が決まったらもう動き出すしかないのです。撮影日も無理やり勢いで決めてしまいました。8月9月は仕事も動き出して、映画の撮影を入れる余裕など無かったのですが、無理やりです。もうやるしかない。と強引に撮影です。1泊2日。撮影場所に選んだのは、福島県浪江町です。

なぜ福島県浪江町なのか。それには理由があります。
遡ること10年前の2010年、私はこの町の港町である請戸地区のドキュメンタリーを取材していました。取材ノートを見ると、最初の取材は8月。そして最後の取材は2011年2月20日。およそ半年間、漁師たちやそのご家庭、そして請戸地区の行事や風景をいっぱい撮影しました。このドキュメンタリーについては今度しっかりと書きますね。
そして放送を待たずに3.11の震災が起き、番組はお蔵入りとなりました。

それから10年、私はちょくちょく浪江町に行っては撮影し、当時取材していた方々とも交流を続けてきました。
東日本大震災から9年が経った2020年3月11日。私は「浪江町の10年目」というコンセプトでドキュメンタリー映画を作ろうと本格的に取材を再開しました。オープニングは2020年3月11日14時46分のサイレンから始まる、というイメージを持って。そして、1年かけてゆっくりじっくり撮影していこうとしていたのです。ですが、この新型ウィルスによって、町の風景を撮影できても人には取材ができない状況が続き、取材を断念せざるを得なくなってしまいました。
(福島県浪江町ドキュメンタリーは2021年の動きにご注目ください!)

福島県浪江町で映画を作る、これが2020年の私の決意だったのでしょう。
私から見えた世界を描こう。浪江町には何もしてあげていないけど、思い続ける、という姿勢だけは続けていきたいと思います。

1泊2日の撮影は、緊張の吐き気と楽しみのワクワクで呼吸が整わず、この2日間の記憶がうっすらとしかありません。
撮影後のみんなで入った温泉が気持ちよかったなぁ。
撮影に至るまでのエピソードが多いですが、実は編集にも大きな仕掛けをしています。これは秘密です。誰にも言いません。伝わるか伝わらないか、解明されるかされないか、どっちでも良いですが、かなり面白い編集理論を入れてます。気がついた人がいらしたらこっそり私に言ってきてみてください。正直にお答えしますので。

この『ten』の仕上がりには大満足をしています。
いつ終わってもいい、と思える作品をようやく作れた気がします。

今回はいつもの様に多くの仲間たちとは一緒にできませんでした。
とても残念です。
でも、こうして完成に至ることができた、ということが嬉しいです。

同じ涙をこらえきれない友達と
同じ気持ちで爆発しそうな仲間と
命のあるかぎり、今しか僕にしかできないことをやる。

これからも魂を込めて作り続けます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?