みんなシェルに閉じこもってるけど頑張ってやぶって、ジョイントしながら生きてるんだぜ! #shellandjoint
観終わった後の幸福感はなんだろう。
観ているとね、不思議と心が暖かくなっていくんだよね。
なんだろね、不思議、、、。
「Shell & Joint」を観てびっくりするのが、この映画にはストーリーがない、ということ。
映画の観客は「ストーリーを探る」「何を言いたいかを探る」もの、だよね。
ストーリーが無い映画なんて!と思われる人が多いかもしれないが、“映画はストーリーがあるもの”とは誰が決めたものか。
この映画を見終わると、不思議な感覚になって、単に“絵画のページをめくっていく美術書”でもいいではないか。と問いかけてくる。ストーリーを探ろうとせず、意識を無にしてそれぞれのシーンを観ていけばいい。シーンの印象の積み上げによって、最後にこの映画が伝えたい事が分かってくるよ。
この映画は、「生物における生と死の美術書」と思って観ると良いんだろうなぁ。
たぶん、。
が、そんな事を考えてる暇はないので、そういうものと面白がって観てみましょう。
ストーリーは無いがテーマはある。
色々なレビューなどを読むと、それは『生と死と性』、などと書かれていた。
なるほどなぁと思いつつも、私にはちょっと違和感を感じた。
私が感じたテーマは「生で繋がっている」ということ。
舞台はカプセルホテルのシーンで始まる。カプセルホテルの従業員の会話がポイントポイントで入ってきて、この会話を軸に映画が展開していく。
カプセルホテルの意味することは、“自分だけの領域”っていう捉え方がいいのかな。人は殻に閉じこもっていて、殻の中では、剥き出しの生物で、性欲の塊で、欲を開放している。そういう殻をかぶって生きている人が、隣同士に並んでいて、それが人間社会という捉え方ができる。
そして、その殻をやぶって生きる、ということが、人間関係であり交尾なのかもしれない。
カプセルホテル以外のシーンでは、昆虫や甲殻類の生態と、人間の欲望などが絡み合う。どうやって生きてるとか、繁殖するとか、人間からの仕打ちとか、そういうエピソードが「生と死」を連想させていく。人間も含めた生物って、こういう風に生きているのかもしれない、と気づかせてくれる。虫と人間、みんな根本の生態って似てるんだよな。生態っていうか性欲かな。
人間には欲がいくつかあるけど、人間以外の生物って「生き延びて子孫を残す」という食欲と性欲が重きをしめているんだな、と観ながら感じるようになる。
カプセルホテルから人間関係を連想できると言ったけれど、この映画の中では全体的に生物関係なのかな。
多くの人の人生というのは、実は受け身なんだろうと思う。自分で決心して人生を切り拓いていこうというのは相当強い人で、多くの場合は受け身。思いがけない流れを受け止めて、なんとか生きてゆく。その現実のなかで幸福を探して生きていくんじゃないかな。
と考えつつ、殻を破って交尾をするのは、受け身ではない。みんな一歩踏み出して殻破って生きているよ。生きているだけで、いいんだよ。と優しく、そして奇妙に訴えかけてくるんだ。
見終わった後、ボーッとした感覚になり、生きている意味というものがボンヤリと心に芽生えるようだ。
観終わった後の幸福感、それは、色んなものが同じっていうか、似てるっていうか、身近っていうか、それをほんわかと感じているからだろう。
そういう感覚に持っていくには、ある意味、この2時間半という時間が必要なのかもしれない。
長いけどな。
海外の映画祭の紹介を見ると「日本のロイ・アンダーソン」とか言われてるけど、確かに似ている空気がある。
シーンでは、台詞で成立させているシーンと台詞無しの表現のシーンがある。それら場面場面の会話や表現は非常に興味深い。
アート系っぽいなぁと思われるかもしれないが、私には“言葉遊び”がしっかりとそこにあるように感じた。
あと、カメラがすべてFIXなので、シーンに集中ができる。理解度をアップさせるので、とても観やすい。
そして、カメラが動かないから単調な分、編集で工夫をしている。
シーンとシーンの切り替わりに、その次のシーンの空舞台を入れることで、リズムを作っている。これはドキュメンタリーで良く使う手法で、一種のサブリミナル効果である。最近のドキュメンタリーの作り手は、このテクニックを使わない。というか知らないので使えない。
これがこの映画のリズムとなっている。とても心地よかった。
そして、音楽が渡邊崇。
音楽が最高に素晴らしい。こういう映画だと、こういう音楽が普遍的に聞こえてしまう。人間の日常的に流れている音楽にさえ聞こえてしまう。とても刺激になった。
この映画は平林監督の欲望と願望がたっぷりと入っている。
監督が今まで作ってきた短編映画と映画祭経験から生まれた長編映画だ。
今までの映画とは違う、とか
新しい日本映画、とか
映画の概念を壊された、とか
そういうのはどうでもよくて、映画って自由でいいよね、と感じてほしい。
それがこれからの映画を助けていく。
日本の映画ってエンタテイメント重視で、日本のエンタテイメントはアイドル文化が強いから、基本的に日本の映画ではキャスティングに重点が置かれる。
ストーリーがよくても結局はキャストがキャピキャピ、ヒューヒュー、ムキムキ、キラキラしてないと配給がゴーを出さない。
でも海外の映画ってもっとフラットだよね。ストーリーとか斬新さとか、日本の観客も気がついてるけど、結局は日本の映画界本体が変わらないから変わらないんだよね。
でも、日本にはこういう映画を作れる監督がいる。ということを知っておくだけでも、観る価値はある。
この作風を成立させる長編映画を作れる監督は今の日本には他にいないと思う。他監督たちが作ろうとチャレンジしても、こうはうまくいかない。ほとんどの監督たちが失敗すると思う。
そして日本の配給会社も手を出さない。興行収入で失敗するから。
平林監督は霊長類で他にいない唯一無二の映画監督だ。この映画が興行収入で成功したら日本映画界はずっと面白くなる。
映画産業の過渡期に、こういう映画が劇場公開されるというのがとても嬉しかった。
映画表現とは何か。
世界で評される映画とは何か。
この映画に何を足したらもっと良くなるのか。
映画に関わる人間として考えさせる。
平林監督に長編映画を撮らせたプロデューサー、プロダクションは最高に素晴らしいと思う。
平林監督の到達点はどこだろうか。次回作がとても楽しみである。
ワタシ的には、もし、平林監督が次回作で、ストーリーというものを薬味的にほんの少しだけ入れてきたら、もうヤバいかもしれない。
この映画が日本での興行が成功するのか、みなさん観て確かめてほしい。
そして、自分の目で観てから、自分の感覚で面白さを判断してほしい。
映画がいつでもそれぞれの人生に寄り添ってくれますように。
板橋基之
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