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『皆さんどうかご無事で^_^』

緊急事態宣言が延長されました。
緊急なのに緊急すべき検査や医療物資が1ヶ月経っても整わないっていう日本。
あと1ヶ月で本当に終息するのでしょうか。

いきなり話が変わりますが、我が家は代々医者です。
祖父、祖母、父、父の姉弟。そして兄。兄の子どもたちも医師を志し学校に通っています。
私は医者にはなりませんでした。その理由は近いうちに書こうと思います。

さて、いま世界的に流行しているCOVID-19。
日本でも医療崩壊の言葉をよく耳にするようになりました。
いつ感染してもおかしくない医療従事者たち。
そうです、兄はその現場にいます。

『皆さんどうかご無事で^_^』
『皆さんご無事でありますように^_^』


最近、兄がよく使う言葉です。
私はこの言葉を何回か言われた後、もう言われるのがたまらなくなり連絡するのを躊躇するようになりました。想像するだけで涙が込み上げてきてしまうのです。そして、実家に行くのも控えるようになりました。80歳を超える両親と一緒に住む兄の家に、孫の顔を見せに毎週末行ってましたが、ここ2ヶ月は行ってません。
それは、私たち家族から親や兄一家に感染させてしまうのを予防するため、私たち家族が感染するのを予防するため。
もし家系親族内で感染者がでたら、医者としての信頼を失い破綻しかねない、そう思って会うことを我慢しています。

私は、この言葉からふと思い出たモノがあります。
坂口安吾の『真珠』という小説です。
内容は太平洋戦争の真珠湾攻撃をした若者9人の特攻隊の記録です。
この小説を20代前半の時に読んで、強烈なインパクトを残した記憶があります。

先日読み返してみたところ、思い出した理由が分かりました。
次の一節です。
「出陣の挨拶に、行つて来ます、とは言はなかつた。ただ、征きます、と言つたのみ。さうして、あなた方は真珠湾をめざして、一路水中に姿を没した。」
“行って来ます”には”行って帰ってきます”という意味ですが、”征きます”は”帰ってきませんよ”という意味。
私は兄の言葉に、同じ様な覚悟のうえに発っせられた言葉、と感じたのかもしれません。

安吾はこうも書いてます。
「必ず死ぬ、ときまつた時にも進みうる人は常人ではない。まして、それが、一時の激した心ではなく、冷静に、一貫した信念によつて為された時には、偉大なる人と言はねばならぬ。」
「ふだん飲んだくれてゐたつてイザとなれば命を捨てゝみせると考へたり、〜〜、といふ考へは、我々が日常口にしやすい所である。」
「けれども、我々が現に死に就て考へてはゐても、決して死に「直面」してはゐないことによつて、この考への根柢には決定的な欺瞞がある。」
「多分死にはしないだらうといふ意識の上に思考してゐる我々が、その思考の中で如何程完璧に死の恐怖を否定することが出来ても、それは実際のものではない。」

日々自宅でのんびりと飲んだくれて「ダメだこりゃ」とか言っている私にグサッときました。突き刺さったところで私には何もできませんけど。

この『真珠』の特攻隊と、いまの医療従事者が同じとは言いませんが、医療現場で働いている医療従事者たちは、こんな覚悟のうえで働いているのかもしれません。と。

私は、外出しなければ、感染率が低い。
そんな私には、医療に従事する兄に対して「感染しない」ということしかできません。不用意な行動をして感染して医療の負担にならないように気をつけています。
私も命がけで自宅で映画のシナリオでも書こうと思ったところです。

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