「幸せ」を考えている
お恥ずかしいのですが、私の密着映像が公開されました。
私なんかが、取材を受けて、しまったわけです。
いつもは、取材する側の人間なのですが、取材される人間としての立場は初めてです。
カメラのレンズが自分の顔に向けられる。
このことが、どんなに怖いことか、理解することができました。
そして、どんな風に描かれてしまうのか、という恐怖も。
とても良い経験ができましたので、今後の取材に活かせそうな気がします。
こうして、他の方が、私の事を考えて構成して描かれる、というのを客観的に見て、そして、出来上がった映像を見て感じたこと。
「私はいつも幸せを考えている」ということ。
私がドキュメンタリーを作る場合、
取材させていただいた方に対して、「この方の何をどう描くと幸せなのか」を
ずっと考えているんだな、と思ったのです。
構成の時も、撮影の時も、編集の時も、MAの時も、試写の時も。
過去に制作した仕事のことも考えてみると、同じ感覚で作っているようなのです。
あの商品の幸せ、あの企業の幸せ、社長の幸せ、あの学校の幸せ、あの映画の幸せ、あの子の幸せ、、、。
仕事でも「対象となるモノの幸せ」を考えて作っている事に気が付きました。
「君の作品って優しいね」
そう言われる理由が分かったような気がします。
「優しい」には、褒めの時も、侮辱の時も、あった気がしますが。
フィクション映画でも、同じで、
主人公や登場人物の「幸せ」を考えている、と思います。
企画から構成、シナリオ、キャスティング、フィッティング、撮影、、、ずっと。
ということを考えていたら、スッと肩の力が楽になりました。
おそらく今まで感じていた創作の重みかもしれません。
今までに観たことがないような映画、なんて私には作れません。
そんな才能はありません。
でも、目の前のことを、一生懸命に考えて撮る、ということはできます。
だから、観ると、ちょっとだけ前向きになれる映画は作れるような気がしてます。
もう少し、映像の世界で、頑張ろうと思いました。
これからの人生は、家族の幸せ、仲間たちの幸せ、スタッフの幸せ、周りにいる人たちの幸せも考えて生きていける自分を目指したいと思います。
映画も観に来てくださいね。