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13年もかかってしまった

東日本大震災から13年が経ちました。
そして『そこにあるべきものたち』という映画が完成しました。

この13年間、私は、動かない理由を探して生きてきました。
言い訳して、逃げて、生きてきました。

気がつけば、年齢は40代後半となり、体力も衰えを感じはじめ、あぁもうこのままシレッと言い訳して終わっていくのかもな、と、正直思っていた自分がいたのは確かです。

ちょうどそんな時に、
「神社が再建されるよ」という情報が届きました。
勢いで、知り合いに電話して、関係者に繋いでいただき、「映画にしたい」とお伝えし、企画書を書いて、取材を開始したのです。
映画は浪江町にある神社再建が題材になっています。
それが2023年の1月です。

動かない理由、とは、作らない理由、のことです。
私は震災前に浪江町をドキュメンタリー取材していました。
その映像素材があり、いつかまとめようと思っていたのです。
しかし「仕事が忙しい」とか「浪江町に行けるタイミングがなかなか」とか言い訳ばかりで動かずにいました。

ここで動かなきゃもう無いかもな、というチャンスが、フッとやってきて、動く決意をしたのですが、今振り返っても、「神社が再建されるよ」と、誰から聞いたのか、ネットで見たのか、記憶にありません。
無我夢中だったのでしょうか。
そして、2023年2月から2024年2月までの一年間、「動く、と自分で決めたから、最後までやる」と自分で自分を暗示をかけ、浪江町に通い続けました。

一年間の取材がおわり、半年間の編集期間を設けて、やっと映画が完成しました。
今は映画の上映に向けて動いています。
良い機会ですので、浜通りで映画を撮る、ということを整理してみようと思います。


浪江町に通っている時に、ある現代芸術家の方と出会いました。
その方が仰っていた言葉があります。
それは、

「混乱してます。」

という言葉です。

その作家さんは、浜通りの景色を見たのは初めてで全然整理が出来ないのだとか。
この言葉を聞いた時に、私はすごく腑に落ちました。

そう言えば、妻を2023.3.11に連れてきた時、初めて見るその景色をじっと見つめ「本当に何もないんだ」と呟きました。
津波の被害そのままの小学校、震災遺構に連れていき、真剣に見ていました。そしてその景色の事を人にたくさん話していたのを思い出しました。「何もない」ということだけを話す妻。それはおそらく『混乱』していたのだと思います。
でも私は混乱していません。
それは何でだろう?と考えてみました。
何度もその景色を見ている私にとっては、浜通りは、そして請戸地区はそういう土地、だということを受け入れている。ということに気がつきました。
震災直後は、精神崩壊寸前まで混乱し、津波で瓦礫だらけの町を見て、通い、変わりゆく景色を眺めていた私は、全てを受け入れている、と。
つまり私はいま、混乱の先にある思考にいる、ということ。
「混乱してます」と言った作家さんは、自宅に戻り、引きこもって作品作りに没頭し、そして展示会で作品を発表していました。
混乱から咀嚼し、そして整理されて、作品として表現する。
お話をすると「まだ整理が足りていないから、また書き直すことになると思う」と仰ってました。

震災当初の私もカメラを回せない時間がありました。
カメラを向ける、という行為は時には暴力になりえます。被災者にカメラを向ける行為が私にはできませんでした。
その時間の意味することが、それが「混乱」という単語なのだと気がつかせてくれました。
でも今は冷静に土地を見つめて、カメラを回すことができます。人とも話ができて取材もできます。
「混乱の先にある思考」として私は映画を撮ることができたのだと、思います。

2023年の東京国際映画祭でトークイベントがありました。
浜通りについてのイベントです。
私も登壇させていただきました。
その時にご一緒した犬童一心監督が仰ってました。
浜通りについて「モノを作る人は、一度来て見た方がイイ」と。
その意味、それは、浜通りがそういう場所だから、なのだと、やっと理解ができました。
そういう場所?とは。

作家にとって、浜通りは、
0から1を生み出すキッカケ。
0から1を生み出すパワー。
が顕著に生じやすい場所。
混乱が0から1を生み出す、ということ、なのかもしれません。

自然災害で住める土地が無くなった土地は日本に沢山あります。
過疎で廃村になった土地もあります。ダムや空港の建設で土地から離れる経験もあります。
浜通りは、自然災害にプラスして、原発事故があります。「はい、今から帰れません」と人為的に土地を奪われた、ということは、戦後日本にとって初めての経験ではないか。荷物をそのままに、着の身着のまま避難して、そのまま帰れない。浜通りの人たちは、そういう経験を現に今、経験した人たちなのです。その土地は浜通りなのです。
そういう土地を見る。会う。話す。

気づけば私のライフワークとなっている浜通り通い。
13年もかかってしまったけど、映画としてやっと形となりました。
作れて本当によかった、と思ってます。
でもそれもまた、たまたまです。
13年、生きることができて、
13年、映像の仕事が続けてこれて、
13年、ドキュメンタリーのディレクターができて、
13年間も変わらなかったことが奇跡です。

13年、と人は言うけれど、地球上で人間を魅了する絶景は3億年ぐらいかかっているので、13年なんて、ちっぽけなものです。
13年間逃げてきたけど、やりたいと思ったからやってみました。
ただそれだけです。

先日映画が完成した報告を兼ねて先輩ディレクターと飲みました。その時に私が「13年間逃げてたんです」と言ったら、先輩ディレクターから言われた言葉があります。
〜〜〜〜〜
やりたいことが見つからない時は、お金を稼ぐ。
お金を稼いでいたら、元手ができて、やりたいことが見つかった時に一歩踏み出しやすい。
お金を稼ぐことは、世の中に付加価値を与えているから、経験としても価値あるもの。だから逃げではない。
13年もかかったけど、13年の経験が、この映画を作る力となって活かせることができた。
一歩踏み出せるタイミングがきたのが13年だったんだよ。
〜〜〜〜〜〜〜
その言葉を聞いて、私は13年間、作る土台を作ってきたんだ。そう思えるようになりました。
この13年の経験が無ければ、映画には辿り着かなったかもしれません。
13年前に空いた心の穴が、やっと、塞がりつつあります。

このドキュメンタリー映画は、今の私にとって最高のものです。
この映画のメッセージは多くある中の一つであって、観る方の想いとイコールなこともあれば、イコールではないこともあるかもしれません。
でも、今の私には、思い残すことはありません。

浜通りの映画を浜通りで上映します。

映画を観るとともに
浜通りの今を感じに来てください。


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