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【すべて腑に落ちる】そんな生き様になりつつあるな

昨年クリスマスイブに応募していた『業務委託ライター』。
休み前の応募だったため連休直前、先方から結果連絡は
年始稼働の6日以降になると連絡をもらっていた。

休みの間、気持ちは交錯しまくっていた。
そして今日結果のメールがきていた。

『今回は不採用』

心がなぜかすっきりして、結果連絡のお礼を返信した。

(熱意を込めた応募だったが、だめだった)

残念な気持ちもあるが、強いショックより「そうなんだ」という納得感が大きかった。
『自分が注力するのはそこではない』と、なにかに言われている気がした。

生き方や思考を変えてから物事の解釈も変化するようになった。


【つらいことやしんどいことは無駄ではないし、自分への贈り物】

【経験ほど価値あることはない】

【起こることはすべてに意味がある】

そんなふうな思考になっていると、結果も含めすべて必然で
『こうなるべきだったんだ』と思うようになった。

自分があてはまる場所はどこなんだろう。

それはどこかにきっとあるはず。

ますます、追い求めてやるぞという気持ちが高まった。

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今年は年賀状仕舞いをしてから
旧友とラインで年始挨拶をすることが増えた。
一方通行になりがちな賀状のひとこととは違い、
対話ができるので、グループラインで各々の近況を伝え合い、
感想を言い合い、労い合うことができて楽しい。

私は常々noteでぶっちゃけているように、やらかしまくりの人生を生きている。
はたから見れば何一つうまくいっていない人生にうつっているだろう。
それでも自分の選んできた道だから後悔はしていない。

ラインでみんなの近況や感想を読んだあとで、
私の近況も、箇条書きでつらつらと綴ってみた。

・母が認知症の診断で『要介護1』
・娘ふたりが発達障害だった
・長女はグループホーム入って2年、次女は特性生かせる仕事を探し中
・自分は体調不良で仕事をやめ、今は好きな文章を書いている
などなど。

高校時代の旧友なので年代的に、生まれた孫の可愛さ、世話の大変さ、
子どもが大学生や社会人で自立している、などの近況が多い。

その中で私の近況箇条書きはここでも異彩を放ち、読んだ数名は
個別ラインで私のことを心配してくれた。

そうして、大勢が苦手な私のために少人数でランチに行こうと誘ってまでくれた。
数年ぶりに再会する予定が今月、二つも入った。

やっぱり私ってふつうより外れた道を進んでると実感。
オーソドックスを嫌う私らしい。


人と違うから興味をもってくれているのか、
いつもしんどさを抱えまくって疲弊してそうだから心配してくれるのか、
何かほかに理由があるのか、わからないが、
私は友人から「会いたい」と連絡をもらうことが多い。

私もしばらく会っていないと久しぶりで会いたいとは思うが、感触として
【いつも友と繋がってる感をもっているので度々会わなくても平気】なタイプのよう。
なのであまり自分から「会おう」と連絡はすることは少ない。


物珍しい、
心配でたまらん、
なんかやってることが面白そー、
なんの理由でもかまわない。

忙しい毎日の中、友がへっぽこで生きてる私なんぞに興味を持ってくれて
時間を作ってくれようとしてくれることがほんとうに嬉しいしありがたい。

実のところ、私はそうやって会ってくれる友に助けてもらっている。




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