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厩猿信仰

 馬の厩と猿について。

猿と馬の信仰

猿は馬を病気やけがから守るという信仰

 ところが、馬や牛と違って、猿と水との結びつきは、西洋にはなく、日本・中国・インドなどの東洋世界に限られている。これは野生猿の生息圏と一致しているのだ。日本では日枝大社[注3-3]の神使としての猿やお伽噺、中国ではあまりにも有名な猿猴・孫悟空、インドでは『ラーマーヤナ』に登場する猿猴ハヌマーン(ハヌマンタ)など、多くの猿物語がある。そして、猿と馬との関わり、さらに猿が馬を守るという伝承はどうやらインド始原のようだ。

[注3-3]「ひえ」大社と読む。比叡山延暦寺の地主神。東京・永田町にあり「山王祭」で有名な日枝神社は、これの勧請神である。

 正月を言祝ぐ猿回しは明治時代まで見られたが、それが見せ物だけではなく、馬医者を兼ねていたと述べたのは柳田国男だった。事実、中世の絵巻物『一遍聖絵』や『石山寺縁起絵巻』には、馬を飼う厩(うまや)に猿がつながれている絵がある。猿には馬を病気やけがから守る霊力があると信じられていたのだ。それが「河童駒引」につながっていると思われる。中国地方では、厩の柱に猿の頭蓋骨やミイラ化した腕をかけて、牛馬のお守りとしている所もあった。

 インド北部には、猿を厩につないでその守護とする習慣が今も残っているという。また、古い説話には火事で火傷した馬を、猿の髄から作った薬で治療したという話がある。さらに、中国・晋朝にはインド伝来かと思われるが、猿が死んだ馬を蘇生させた話もある。宋代には、猿は馬の疫病を防ぐとされ、厩に猿を飼う習慣が中国に広がったようだ。病はかつては悪霊のなせる業であったから、これが馬の尻小玉を抜く「河童駒引」となったのかも知れない。

水神の話:「河童駒引」をめぐる動物考―馬・牛・猿(3) 
03年07月19日
萬 遜樹
(三)猿と水神
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-144.htm


中国 避馬瘟 庇馬瘟 弼馬瘟

 中国の厩猿信仰 西遊記の孫悟空の天上での官職 弼馬温の元ネタです。

「馬上封侯」https://mypaper.m.pchome.com.tw/kamadevas/post/1235077291

日本の厩猿信仰

 日本の厩に猿が飼われていたそうです。

日本の厩猿

梁塵秘抄にも歌われています。

353 御馬屋の隅なる飼猿は 絆離れてさぞ遊ぶ
    木に登り 常磐の山の楢柴は
    風の吹くにぞ ちうとろ揺るぎて裏返る

(訳) 馬屋の隅にいる飼い猿は 紐から逃れて好きなだけ遊ぶ
    木に登る 裏の常磐山の楢柴が
    風が吹くたび ちゅうとろ揺れてひるがえる

梁塵秘抄ものづくし篇(その五) http://false.la.coocan.jp/garden/kuden/kuden0-5.html

厩猿(うまやざる)

 平安時代末期(12C.ころ)の梁塵秘抄(唱謡歌集)に、厩(うまや)の隅に飼っているサルのことが書かれています。平安時代の末期から室町に入っていく時代には、もう厩の中にサルが飼われていました。

 日本では猿回しが厩の前でサルが舞ったというのが最初のようで、それが厩にサルが飼われ、その後、サルの頭骨や手が祭られ信仰されたようです。なお中国ではウマの病は飼われているサルの頭に集まるのでウマの無病息災に効果がある旨の解説があります。(明(19C.)の本草綱目)

 馬を飼っている場所で生きたサルを飼うということがどういうことなのか。ニホンザルはご存じのように肉食ではなく草食です。有蹄類の馬や牛にとってはサルは害がなく、一緒に飼っていると相性が良く、サルが横にいると馬や牛が非常に安心するといわれています。

 このように考えると厩にサルをおくというのは、非常に有用で効果的なサルの利用方法であり飼育風習です。それがいつのまにか信仰となって、サルは馬や牛の守り神と考えられるようになったと考えられます。

https://web.archive.org/web/20201229120452/https://www.pri.kyoto-u.ac.jp/before2010/shudan/umayazaru/survey.html

大切な馬を守る神を厩神といい、馬の飼育が盛んな時代の日本において信仰されていた。

多くの地方では猿が馬の守り神とされており、厩の柱に猿の頭蓋骨、または猿の手足の骨を納めたり猿の絵馬やお札を貼って魔除けとした。

日光東照宮の神馬をつなぐ厩に掲げられた「見ザル・言わザル・聞かザル」で知られる三猿の彫刻も、同じ魔除けの意味を持っている。

馬の守護神が猿とされたのは、猿曳き物語に「天竺から猿が飛んできて厩の御祓いをする」と出てくるのが起源としている。

五穀豊穣・雨乞・祈晴、さらに馬の安産や健康も併せて願って猿を祀ったものでないかという。(中村民彦:東北地方の厩猿信仰)

古くは馬の邪気を払うとして、厩の前で猿を舞わせる風習があった。

厩祭で祝言を述べて猿を舞わす者を猿曳きといい、これが後の猿まわしの起源になったのだとされる。

やがて猿曳きと猿が来てくれない時代になったことから、猿の舞の代わりとして猿の頭蓋骨や手足の骨を祀るようになっていった。

頭蓋骨や手足の骨が手に入らない場合には、絵馬やお札を祀る様になった。

馬の守り神は猿・北斗七星・鈴・馬医だというhttps://plaza.rakuten.co.jp/yk1430/diary/201312100000/


論文

厩猿信仰の歴史的変遷と祭祀形態の転換期における頭骨の意味https://lab.kuas.ac.jp/~jinbungakkai/pdf/2012/h2012_02.pdf

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