慣れたはずの「独り」でもさみしくなることはある(令和2年5月6日)
こんにちは。本日もよろしくお願いします。
【活動報告】
・仕事
・読書「流浪の月」
・ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」
GWも終わり、仕事も一区切り。さて、世の中、これからどうなっていくのやら・・・。
【本日の学び・気づき】
本日気づいたことといえば、私は寂しい男だということだ。
私は社会人になって以来ずっとひとり暮らしだ。結婚は一度も経験したことがない。
私は、結婚したことがないので、ずいぶんひとり暮らしに慣れてしまった。なんでも一人でするのが当たり前。
おまけに、プライベートで遊ぶ友だちもいないので、休日もほとんど一人だ。
すごくときどき、職場の人が遊んでくれるが、たいていは一人で楽しむ。昨今、一人で楽しむことができるものが多くて困ってはいない。
私は趣味に没頭するタイプなので、毎日自分の趣味で余計なことを考える暇がない。
ところが、そんな私でも、心のスキマに気づいてしまうことがある。ふとしたときに、自分が本当に独りだと気づいてしまうのだ。
かつて万葉集の歌人、大伴家持がこんな和歌を詠んだ。
うらうらに 照れる春日に ひばりあがり 心悲しも 独りし思えば
真偽は定かではないが、日本で初めて孤独を詠んだ歌とも言われている。
おだやかな春の日に空を飛んでいるひばりをなんとなく見ていたら孤独を感じてしまった大伴家持。
私がこの大伴家持に自分を重ねるなんておこがましいにも程があることは重々承知。
でも、思ってしまったのだ。私も独りだと。
自分が独りだと気づいてしまうと寂しいね。空虚な気持ちが私を襲う。
人の心の根源にはさみしさがあると思うのだ。
さみしいから、このnoteの記事を書き、みんなに読んでもらいたい。Twitterにだってつぶやいていいねを押してもらいたい。
ひとは独り言を聞いてもらいたい生き物だと思う。
決して、それは弱い心から来るものではない。それが人間なのだ・・・、と自分に言い聞かせている。
リアルでこんな寝言みたいことを言う人もいないので、仕方なくここに書いてみることにしたが、日常で誰かに話してみたいものだ。
この虚しい心を共有してくれる人を、今日は探してしまった。